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戦後ガザ復興と戦後日本の復興

War of Return(帰還の戦争)の著書で有名な、エイナット・ウィルフさん。言論に精力的に活躍されている。彼女のXには、自己紹介に「フェミニスト、シオニスト、無神論者です、はい。」とある。この本をぜひ読みたいと思うし、彼女のお話しはとても勉強になる。

彼女の論旨は、主に「パレスチナ人自身に、実は国家を造りたいという思いが見えない、非常に欠けている」ということだ。当事者、本人たちがそう思っていないのであれば、二国家案にある国家建設は成り立たない。そもそも、イスラエルがなくなることの情熱だけが、見えている。そこにUNRWAがあるから、イスラエルを潰すための援助をしているだけで、そのつけを払うのはイスラエルになるのだ、ということだ。

私も、これはつぶさに、パレスチナの人々の声を、直接、読んだり、聞いたりして抱いた思いと同じだった。

人は、単なるホモサピエンスか?

けれども、どうしても違和感を抱いてしまった部分があった。それは、GHQの戦後占領統治を、戦後のガザ統治に当てはめているところだ。日本とドイツの戦後復興を、「思想的な変革をしたからだ。だからパレスチナ人にもできる。同じホモサピエンスの人間だから。」と発言したところだ。

人間をホモサピエンスと表現し、人の統治によって思想を変えることができるとする理性主義には、かなり抵抗がある。人は、理性や思想だけで造られている存在ではないのだ。長い伝統や歴史があり、その延長に人がおり、何よりも、全能者なる神の憐れみとご介入があるからこそ可能なのだ。人には到底できない限界は無数にある。

不可能を可能にしたのは人間の意思だけではない。むしろ、人間の意思の限界がある中で、それでも事が進んでいったのが、シオニズムの歴史だ。そこに神への畏敬が必要だと私は考える。初代首相、世俗派であるベングリオン自身が、「イスラエルで奇跡を信じなければ、現実主義者ではない」と言った通りだ。

日本人は「思想改造」されて民主化したのか?

日本とドイツの復興を、ガザ復興に当てはめる論理は、彼女だけでなく、イスラエルでは盛んに語られている感じがするが、日本国民としては、どうも複雑だ。日本人が本当に、GHQの思想操作によって、民主主義が埋め込まれたのか?そうではないだろう。

それは一部にはあっただろうが、日本国民は、敗戦のくやしさと悲しみを抱えながら、それでも、「前を向いて歩まなければ、我が国は成り立たない」と、国民それぞれが、置かれている立場で悟っていたからこそ、戦後復興の努力があったのだと思う。

戦後復興だけでなく、日本には明治維新の歴史もある。その前には、江戸時代での自活や自助努力の歴史もある。そういった先人から伝えられたものがあって、自分たちの国は自分たちで造っていかないといけないとする、国民国家的な考えに至る経緯があったのだ。

非西欧の近代国に影響を与えた明治維新

明治維新の気概は、近代の他の国々の建国の父に影響を与えている。一つは、現代のトルコ共和国の父、アタトュルクだ。そして実は、イスラエルの建国思想の父の一人にも影響を与えている。日露戦争でロシア兵として戦ったユダヤ人、ヨセフ・トルンペルドールだ。どちらも、自民族が自決できる国の一例を、近代日本に見たのだ。

私は個人的に、パレスチナよりも、イスラエルのシオニズムのほうに、日本国は親和性があると思っている。

GHQは「弱い日本」派から「強い日本」派へ変わった

そして、ウィルフさんの日本史の勉強は、少々、足りないようだ。確かに米国には、日本の力を弱めて、強く支配しなければいけないとする派と、日本の力を生かして、反共の防波堤にしなければいけない派がいて、前者が優勢になった。だから、戦後の占領統治の初期は、これまでの日本の制度を廃止する、社会主義的なものだった。

しかし、そこには敗戦の混乱を利用した、共産主義革命の危険がかなり迫っていた。それで昭和天皇、また吉田茂首相など、少数の保守自由主義者たちがなんとかして、その動きに陥らないように持ちこたえた。そのうちに、日本の力を生かさないといけないとする派がGHQ内でも強くなり、近い将来の、日米安保の同盟関係の布石となっていくのだ。

もし、米国が日本をもっと押さえつけていたら、日本は本当に弱体化して、朝鮮半島の分断のような状況が起こっていたかもしれないのだ。ドイツもおそらくそうだろう。西独が強くなり、東独が弱くなり、それでようやく統一ができたが、共産党は非合法化にするなど、「戦う民主主義」の制度を確立していった。そしてドイツも、長い歴史と国への誇りのある民族だと私は思う。だから立ち直れた。

帰還しないパレスチナ人

ユダヤ人は、聖書の神を信じて、アブラハム・イサク・ヤコブに約束された地に住み、エルサレムを都とする歴史があるからこそ、シオンに帰還する強い切望と、強靭な意思が与えられた。

アラブ・パレスチナ人は、同じように、長い歴史と、国民意識、また今の土地への帰属意識はどれだけあるのか?ユダヤ人は何とかして、どんな困難があっても、イスラエルに帰還しようとするが、国外に移住したパレスチナ人に、何とかして戻ってこようとする人々がどれだけいるのか?イスラエル批判はしても、パレスチナ国家へのビジョンを抱き、それに向かって動こうとする人々はどれだけいるのか?

むしろ、パレスチナ・アラブ人は、当時、オスマン・トルコ支配下で、不在アラブ人地主の土地を耕す小作人が圧倒的であった。彼らがそこにいたのは、経済的な要因が最も強かった。今、西側諸国に移住した大勢のパレスチナ人も、同じような経済的要因で動いているのではないか?

「占領」と繰り返す度に、国家建設から遠のく矛盾

それとも、「占領政策」のせいなのか?日本人の知人が西岸でゴミだらけのところを見て、指摘すると、パレスチナ人は「占領」と答えたそうだ。日本人は、「ゴミ、ゴミ箱に捨てればいいでしょ?ゴミは収集するものだよ。」というのが、あまりにも当たり前の反応なのだ。

このままでは、自分の国どころか、自治さえままならない。依存体質から脱却するのは、いつのことになるのだろう?

親パレスチナではなく、反イスラエル

彼らに明確な意志があるとすれば、反イスラエル、つまり、イスラム教の「一度、征服したところは、イスラムの支配にある。だからユダヤ人支配は許さない。」という強い思いだろう。もちろん少数には国民国家の夢を抱いている人たちはいるだろうが、決して主流とはならない現状がある。

要は、人間は、単に理性や思想だけで生きているのではない。歴史や信仰に支えられた、切実な思いが反映されて、それで動いているのだ。要は、イスラエルが、戦後のガザ統治において、日独の例を取り上げて成功するかのような甘い期待は、ちょっと実際とは違いますよ、と言いたいのだ。

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