お母さんと私 ~さよなら私の見捨てられ不安~
2歳ころの私をイメージすると、
怯えすぎて壁からひょっこりはんしている感じになる(笑)
片目しか出ていません(笑)
それくらい恐れていたんだね。
恐かったんだね
お母さんが自分のものではなくなる感覚。
大変なお母さんを助けなきゃいけないという感覚。
1歳半のころ、妹がお腹にいて、
私は、おとなしく抱っこを我慢したらしい。
思い出さないけど、そのエピソードを母から聞いたら涙が出た。
そうして私の見捨てられ不安の旅は始まる(笑)
お母さんが喜ぶように
良い学校に行く
良い成績をとって
頑張って、がんばった。
それがうまくいかなくなった時、
優秀じゃなくなった時、
とんでもない見捨てられ不安に駆られる。
そうすると、愛を確かめたくなる。
家出をしたり、
試し行動と呼ばれるものもした。
それに応えてもらうことでしか、安心を得られなかったことがあったよ
(その安心は、すぐになくなってしまうのだけど)
「優秀じゃなければ愛されない
「お母さんを困らせない子じゃないと、愛されない」
「お母さんを喜ばせなければ、愛させない」
言葉にならないほど奥の奥の方の意識に刻まれた、そういう感覚。
・・・・・・
うん
どっかでわかっていた。
これは、お母さんの愛情不足なんかじゃない。
抱っこしてもらいたいとき、
「抱っこしてー--------!!!!!!!!」って言って駄々こねて、泣けば良かったの。例え、嫌がられても、煙たがれても、そうすれば良かった。
「私はお母さんが大好きなんだからひとりじめしたいの!妹、あっちいけ!!!」って言えば良かったの。例え、怒られても、そうすれば良かった。
言えば良かったの。「お母さん、大好き」って。
毎日、毎日、言えば良かったの。
私の望みは、良い子でいることじゃない。
私はこれを子供のころできなかったから、
恐くて恐くてできなかったから、
大人になって、限界がきて、やることになった(笑)
母の前で怒り狂った。そうすることを、自分に許した。許すしかなかった。遂行するまで、私の中の私は暴れ続けると分かったから。
「赤ん坊(私の娘(笑))の世話ばっかりしてないで、私をかまえ!!私を見ろ!!」と言って暴れ狂った。(もう今考えるとムチャクチャすぎる)
お母さんに、大好きって言うイメージを毎日した。(実際できないところが課題よね(笑))
お母さんにありがとう、ごめんねって伝えるようにした。
そしたら、母も変わり、私も変わり、穏やかな関係が戻ってきた。
なぜか、50万円くれた(笑)
病気になって、とんでもなく獰猛な自分が出てきて大変だったけど、私はそんな私をコントロールするのをやめた。もう、好きに暴れればいいって、解き放った。
そしてその後、本当に望んでいたものにも気が付いた。
それから、見捨てられ不安はなくなった。
穏やかな関係の中にいる。
幼いころの傷を癒そうとするとき、「どうしてもらいたかったか」という質問を投げかけるセラピーやカウンセリングが多いと思うけれど、「どうしてもらいたかったか」で納得できる答えが出ないとき、
自分が「どうしたかったか」聞いてみると良い。
きっと内側は答えてくれる。
私は「抱っこをしてほしかった」のではなくて、
「抱っこして!」って、言いたかったのだと気が付いたよ。
自分が平気なふりをしているのを、やめたかったと気が付いたよ。
そうやって自分の気持ちに蓋をするのを、やめたかったんだと気が付いたよ。
そしてだんだんと、そこにあるものを、深く深く理解していくよ。
穏やかな関係になって
あるときやっとわかった。
ずっとずっと愛されていた。
ずっとずっと認められていた。
母の未熟さと私の未熟さから、様々な思い込みを生み、
娘はこういう風に育てなければ幸せになれない
私はこういう風に育たなければ、母に愛されない
そんな条件を付けてしまったけれど、
それすらも、どちらも愛だったと、今ならわかるよ
私がほしかったものは、いつもあったよ
頭の上の眼鏡のようなものだね
あるのに、探し出せなかっただけ。見つけられなかっただけ。
ずっとほしいと思っていたお母さんからの愛は
生まれる前からそこにあって
変わることはなかったと
ようやくわかったの
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