大都会・東京で感じた「安上りな街」
年末年始の5日間、都内のホテルに泊まったときに感じたことをお伝えしたいと思います。
泊まったのは大層な高級ホテルではなくて、サウナと大浴場がついて個人的にお気に入りのドーミーイン。
日中は部屋で缶詰になり勉強したり、元旦の都内の散策に出かけて途中に見かけた小さな神社で初詣なんかを楽しんだ。
あまり金のかからない生活を送っていたため、お金を使ったことといえば朝を除く食事代やカフェ代しか使わなかったので、宿代を除くとトータルで5千円もかからなかったのではないだろうか。
そして、やはり感じたことは大都会・東京は「暮らしやすい」ということだ。もちろん、家賃は日本の中で断トツに高くて、SUUMOなどの不動産ポータルをチェックすると故郷の札幌との家賃差にいつも驚く。
年末年始ではないが、以前仕事で1週間ほど滞在したパリで物価の高さに疲弊した記憶をふと思い出した。
自由に散策できるが数日あったので卒業旅行以来のパリの街を楽しもうとカメラを持って朝から街をせっせと散策していた。
しかし、歩き疲れてちょっとカフェやファストフードなんかで食事などしようものなら1回で15~20ユーロくらいが平気で吹き飛んだ。
そのため、ちょっと節約しようかなと、現地のコンビニ的なところでサンドウィッチで買ったらぼそぼそで不味くて食べられたものじゃなかったし、スーパーマーケットでサラダとか買ったら野菜が腐っていた。
僕はそのとき、安さと求めると低品質になるという、おそらく世界の大半の国での常識を再認識させられた。
僕の勤務先の会社では、海外出張の際は食事代等の日当として一日約5,000円ほど支給されたのだけれど、結局少し赤字になりながら質素な食事をして過ごすことになってしまった。
つまり、自炊をする以外では、パリでは一日5千円でも暮らすことができない都市だった。
話を東京に戻そう。
そう考えたとき、今回の東京の食事代はパリの時とは比較にならないくらい「安上り」な都市だ。パリでは、値段と品質が正比例して、安くなるとトコトン品質も悪くなるが、日本のコンビニは値段を下げても品質はそれほ下がらない。
コンビニで弁当を買ったら、期限切れだからと店員さんが謝りながら新しい品を棚から持ってきてクオリティ管理をしているし、だいたい700円もあれば十分お腹を満たす食事は可能である。
もちろん、東京も世界有数の美食の街だし、経済大国3位の首都なので上を見るときりがないが、庶民が生活するだけであれば家賃を除けば安く上がる。
日本のコンビニ・外食の素晴らしいところなんだと思うが、果たして本当にそれで良いのかとも感じた。
また、2020年以前はたくさん見かけられた外国人のコンビニ店員の方々は、すっかり影を潜めており、他の地方と同じように日本人の店員の方がほとんど接客されていた。日本を支えていただいていた外国人の技能実習生の方々は、日本に来れなかったのか、人手不足になっていてここよりも待遇の良い他の業種へ行かれたのだと推測された。
特に何も観光していないプチ旅行だったけれど、たまに感じるこの引っ掛かりを言語化する必要があるなと感じる。
フィールドワークではないけれど、短期間でも数日その場所に滞在することで見えてくる社会の様子をこの年末年始に発見できたのはよかった。
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