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7/1① 小さな集落テスタへ向かう

※今日は、一日に起きた出来事にしては内容は盛りだくさんだった。
ぼくの人生の中でも、トップクラスに濃密な1日だったと言っても過言ではない。
できるだけ簡潔に書いたつもりだが、8,000文字を超えてしまったので、4回に分ける。

プクタル・ゴンパ直営のゲストハウスで朝を迎える。
7時過ぎにゴンパまで登って行って、朝陽に染まりゆく対岸の集落を眺める。

ほとんどの少年僧はまだ夢の中なのか、ゴンパの中はとても静かである。
炊事を担当しているおじいさんが、かまどに火をくべている。
火が燃え、大釜のお湯が煮立つまでの間、彼は一心にお経を唱えながら、本堂脇にあるストゥーパ(仏塔)の周りを回り続けているのだった。

何のために、何に対して、何を願って、祈りを捧げているのだろう。
そもそも「祈る」とは、どういう意味なのだろう。
彼のひたむきな姿は、ただただ神々しいのだった。

ゲストハウスに戻って朝食を食べる。
朝食は、ミルク粥、コーンフレーク、チャパティという3大穀物をコンプリートした献立であった。
ミルク粥もコーンフレークにかける牛乳も甘く、おまけにチャイも激甘だったので、朝から胸焼けしてしまった。
途中から気持ち悪くなって、チャパティは食べられなかった。
ちなみに、一緒に滞在していた欧米人の家族は、ただでさえ甘いミルク粥にさらに砂糖を加えていた。どうかしている。

朝食後、9時にチェックアウトして、来た道を戻る。

昨日は作業中だった道路が、朝にはもうきれいに均されていた。

相変わらずの危険な一本道で、下り坂ではいくら慎重に歩いていても、時折り足が滑ることがあり、何度か肝を冷やした。

昨日よりも速いペースで、40分ほどで車道に続く「道らしきもの」に着いた。
すると、道の下におじさんが佇んでいて、ぼくに何か話しかけてくる。
発音のクセが強い英語で、なおかつ単語を並べるだけだったので、最初は何を言っているのか理解できなかったが、このようなことを言っていた。

「私はタクシードライバーで、4人の人が来るのを待っている。私は昨日、彼らをパドゥム(Padum)から連れてきた。今日、彼らをパドゥムに送り返すことになっている。彼らのことを知らないか?」

ぼくは少し考えて、どうやらゲストハウスに泊まっていたあの西洋人の家族のことらしいと思い至った。
「2人の子どもと両親の、西洋人の家族だね?」とぼくが聞き返すと、そうだそうだと彼は頷いた。
それから、「彼らを知らないか?」と再び尋ねてきた。
残念ながら、ぼくは彼らとは話をしていなかったので、いつゴンパを出発するというようなことは分からなかった。

「ぼくが出発したときには、まだ彼らはゴンパにいたよ。でも、話をしてないから、いつ帰ってくるのかは分からない」と伝えると、ドライバーは「not good……」と呟いて、「私は一旦プルニに戻る。君もプルニに行くだろ?車に乗って行きなさい」と言う。

魅力的な提案である。

ぼくは彼の車でプルニに戻った。

車車が通るにはあまりにも凸凹が激しい道で、あまり快適とは言えなかったが、非常にありがたかった。

プルニに着いたのは午前10時。
そして、実はここからが今日のメインテーマ。

だが、本題に入る前に、パドゥムからプルニにやって来た2日前に、少しだけ話を戻す。

ぼくはパドゥムで宿泊していたゲストハウスのオーナーと一緒に、シェアタクシーに乗っていた。
彼はプルニより少し先の集落に用事があるらしく、地元民が乗るシェアタクシーを手配してくれていたのだ。
そして、その道中で彼はぼくにこんなことを言った。
「2日後、プルニより少し先に行ったテスタ(Testa)という村で結婚式がある。せっかくの機会だから、参加してみるといい。私の家はテスタの近くにあるから、夜はうちに泊まっていきなさい」
インドの奥地にあるラダックの、さらに奥地のザンスカール地方の、そのさらに奥地の小さな集落の結婚式を見られる機会など、そうそうない。
ぼくはもちろん、テスタまで行ってみることにした。

6月29日の出来事

さて、プルニに戻ってきたぼくは、一昨夜に宿泊していたゲストハウスの女主人に「テスタに行きたいんだ」と言ってみた。
すると彼女は、「テスタまでなら歩いていける。easy だ」と言う。
実はGoogleマップの経路表示では、プルニからテスタまでは16kmと出ていたのだが、ここまで辺境の村まで来るとそれもあてにならない。
ぼくは彼女の言葉を信じることにした。

そして、テスタに続いているという未舗装の一本道を歩き始めた。

(つづく)

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