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フェルメール展予約した

絵画を愛でる感覚が人より乏しいので滅多に美術展などは行かないのだけどフェルメールには思い入れがある。

今から約20年前。貧乏を極めていた若い頃、同時に芸術にひどく飢えてもいた。観たい映画が観れない。読みたい本が読めない。聴きたい音楽が聴けない。PC もスマホもネットも普及していない時代。これらの問題を解決する手段は「図書館」しかなかった。幸い自宅から徒歩圏内にそこそこの規模の図書館があったので足繁く通った。図書館様にはほんとお世話になりましたよ。

山のような書物に囲まれてふと思った。もとより絵画にほとんど興味を持たずに生きてきたけれど「今の自分なら刺さる絵もいくつかあるんじゃないか」と。そして図書館にある著名な作家の画集を片っ端から手にとってみた。

しかし正直なところどれもこれもサッパリで、「やはり自分には向いていない世界か」と思いつつ、それでも気になる画家が一人だけいた。それがヨハネス・フェルメールだった。けれどなぜフェルメールだけが気になったのか。その時点では全く分からなかった。なんかフェルメールって画家だけ妙に引っかかるな、という程度の感触だった。

それから何年後だろうか。古本屋で「天使のまなざし - ヴィム・ヴェンダース、映画を語る」という本を見かけた。誰かがヴェンダースのことを説明するような本には全く興味無いけど、ヴェンダース本人の言葉には興味があるので購入してみることにした。

映画作家としての目で見れば、フェルメールこそ唯一の画家です。その絵がいまにも動き出しそうに思える画家というのは、結局彼一人しかいない。彼こそカメラの成し得る究極にまで行き着いた人、比類なき撮影の巨匠です。

これはヴェンダースの言葉だ。一方で、ロビー・ミューラーはこう語る。

やれレンブラントが好きだ、フェルメールが好きだ、などと言うつもりはありません。もちろん彼らは偉大な画家です。それにたとえある種の絵が私にヒントを与えてくれるにせよ、私の絵画への興味は大抵の人の場合より、以上でも以下でもありません。

温度感の違いは明確だけど、それでも映画に携わる両者が、特に思い入れのある監督とカメラマンの両方が、真っ先に口にするフェルメールという画家に僕のアンテナが反応したということだけが単純に嬉しいと感じたものだ。

よく分からんけど何か気になる、という感じ方はヴェンダースよりもロビー・ミューラーの方に近いのだろうか。ただ僕はまだフェルメールの絵画を生で見たことが一度もない。

楽しみだなあ。

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