言葉では到達できない感性の最深部に送るメッセージ
アルバムジャケットの話が楽しいので、昨日から引き続き同じ話題を。
怖いとか気持ち悪いとか、それに近いのだけど別に不快ではない。でもこの感触を形容する言葉が思いつかない。
さらっとそんなことを書いたけど、僕にとって写真という表現はこの感覚にいかに迫るかという世界なのかもしれないという気がしている。
それはいわば、言葉では到達できない感性の最深部に送るメッセージだ。
僕は「言葉という手段でそこまで到達できるとは思っていなかった」という領域で文章を書いている人に魅了される。そして僕自身、言葉の力を信じている。けれど一方で、言葉ではどうしようもなく到達できない場所があるような気もしている。
そこに到達する手段は音であったり絵であったり、そして写真であったりするのだろう。
アルバムジャケットはイラストも写真もあるけれど、それ単体として存在するものではなく「音楽のパッケージ」という機能を背負っている。それゆえにもたらす独自の印象というものがある。と、僕は感じている。
前回の投稿でも取り上げた Pink Floyd の「Atom Heart Mother」。とても印象的なジャケットだけど、要するにただの牛の写真だ。何か特別な技巧が凝らされているわけでもない。もしこれが Pink Floyd のアルバムカバーではなかったら、特別な印象がもたらされることはなかっただろう。
The Beatles の「Abbey Road」。こんな風景は探せば日本にもありそうだし、横断歩道をメンバーが同じ足並みで歩いているというアイディアも特別物珍しいわけではない。なのにどうしてこの写真はこんなにも印象的なのだろう。
Ry Cooder の「Into The Purple Valley」。このアルバム、めちゃくちゃ好きで何度も聴いてるし、このジャケも最高に映画っぽくて好きなんだけど、なんか違和感がある。音とジャケの相乗効果のようなものが感じられない例。音もジャケットも好きなんだけどなんかしっくりこない。
最後は Black Sabbath の 1st。絵なのか写真なのか分からないし、写ってるのが男性なのか女性なのかもはっきりしない。家があって、池?があって、林があって、人がいる。ただそれだけなのになんでこんなにも不安な気持ちになるのだろう。これは本当にすごいジャケットだと思う。
日本のアーティストも何か面白いジャケットがあれば、と思ったんだけど、ぱっと思いつかなかった。
思いつきであえて挙げるなら、「Atom Heart Mother」と牛つながりで、シアターブルックの「VIRACOCCHA」かな?
これ牛だよね?牛じゃなかったらごめんなさい。
あ、牛つながりだったらこんなジャケットもあったね。
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