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オンライン上でも人間らしくありたい

SNS は「リアルで出会う機会が無い人との接点」を作り出した一方で「オンライン上の人間像」を画一化した。極端な表現で要約すると僕にとってインターネットは「つまらなさそうな人ばかりが跋扈する世界」になった。

あなただってきっとリアルで直接お会いすることができたなら食べ物の好き嫌い、好きなスポーツ、子育て、信念、哲学、恋バナ、仕事の愚痴、、、色々話したいこと・話せることがあるはずだろう。そうしたらきっと楽しいはずなのにオンラインになった途端一つの話題しか話せなくなるのはなぜなのか。そうでないとフォローが増えない、イイネが増えない。

SNS においてエンゲージメントを高めることだけが唯一の目的ならそれは「あるべき姿」の一つなのかもしれないけど、誰もかれもがそうである必要はあるまい。というか、ほとんどの人は「その必要性が無い」「そんなことあなたに求めてない」と僕は感じている。

多様性が叫ばれる昨今「人それぞれ」という意味での多様性の認識はある程度定着しているのかもしれないけど「ひとりの個人が持つ多面性」については退化する一方だと感じている。特に SNS アカウントの在り方はいつまで経っても画一的で退屈だ。映画なら映画、写真なら写真、それに特化していなければならない。プロの写真家でもないのに「写真以外の話してすみません」なんて断り入れる必要ある?

それで言うと僕も X アカウントは 2 つ持っているけど、ラーメン特化型のアカウントは更新を止めた。削除してもいいと思ってるのだけど、そっちでやりとりしたDMなどが消えてしまうのが勿体ない気がするので残してるだけ。作ってから10年以上経ってるから思い入れもあるし。

Instagram もあえて「こいつ何がしたいんだ」という見せ方をしている。

ラーメン食って、写真撮って、ギター弾いて。一貫性が無い?そりゃしょうがないよ。あなただってラーメン食ってるだけの生活ではないでしょう?映画見てるだけの生活ではないでしょう?アニメを見たり、友達と飲みに行ったり、ディズニーランド行ったり、バーベキューしたり、欲しいものを買うために行列に並んだり、飼うつもりもないのにペットショップに足を踏み入れたり、眠れない夜があったり、様々な出来事があるでしょう?そしてそれぞれの出来事について思うことがそれなりにあるはずでしょう?

それを SNS アカウントのペルソナ設定にそぐわないから、という理由であえて触れない、言及しない、発信しない。なんて窮屈で居心地の悪い非人間的な世界だろう。

ヘッダー画像は「ちょっと変わった自撮りをプロフィール写真にしてみたい」と試行錯誤していた時期に撮った一枚。普通カメラマンのプロフィール写真ってこうなりがちだよね。↓

こういうプロフィール写真見ただけで「画一的で凡庸で遊び心がまるでなくて極めてつまらなさそう」と思ってしまうのは僕がひねくれてるというだけなのかもしれないけど、でもそう思ってしまうんだから仕方ない。

だからnoteだけプロフィール画像変えてやったよ。

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