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古舘伊知郎のF1実況の何が凄かったのか

先日、モータースポーツジャーナリストの川井一仁さんとラジオ番組で話をする機会があった。川井さんといえば、かつてF1中継では、放送席から「オタッキー川井ちゃん!」と呼びかけられていた名物ピットレポーターである。

学生時代、古舘伊知郎さんの実況の影響でF1にも熱中していた僕は、川井さんの声も画面越しによく聞いていた。F1について豊富な知識を持つ川井さんのことを古舘さんは著書の中で「F1界の南方熊楠」と評価している。

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そもそも、古舘さんが最初にF1の実況を担当したのは、平成がスタートした1989年、シーズン開幕戦のブラジルグランプリだった。当時のF1は、日本人最初のドライバー中嶋悟が誕生直後で、アイルトン・セナという新しいスターがホンダのエンジンを操って頭角を現してきた頃。しかも、日本全体がバブル景気の真っ只中で、フジテレビは視聴率が絶好調という、もうこれ以上ないタイミングでの参入であった。

では、F1にやってきた古舘伊知郎の実況は何が凄かったのか、僕は以下の3つだと思う。

1. ニックネームを大量生産した
2. 新分野で結果を出したフジテレビ「F1グランプリ」
その
3. スポーツ中継の見せ方を確立した

1. ニックネームを大量生産した

川井さんに「あの古舘さんがF1にやってきて、何が一番変わりました?」を尋ねたところ、やはり、「ドライバーのニックネームが定着したこと」との回答だった。プロレスで発揮した古舘節の真骨頂、形容詞の大量生産である。

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「どんなにマシンが高度になろうと、それを作り、扱うのは人間。基本はすべて人間です。“ザ・人間”で番組を押したい」

『サンケイスポーツ』1989年3月7日号

古舘さんが記者会見で語られたように、他の実況アナウンサーと最も違っていたのは「ザ・人間」を全面的に押し出した点だ。たとえ、アラン・プロストや、ナイジェル・マンセルがモータースポーツ界で一流のドライバーと言っても、一般には知られてない外国人がほとんどである。そこで、古舘さんはニックネームを使ってドライバーのキャラクター(個性)を視聴者に植え付けたのである。その膨大な表現から、とりわけ秀逸だと思うものを10個ほど僕が選ぶとしたら、こんなかんじだろうか。

「音速の貴公子」
「サーキットのナポレオン」
「F1住所不定男」  
「スピードと快楽のシンドバッド」  
「俺を誰だと思ってるんだ走法」  
「優しき大木」  
「二百戦錬磨」 
「顔面三浦半島」
「才能の遺産相続人」
「刻み納豆走法」

フジテレビ「F1グランプリ」

どれもドライバーの特徴をとらえた見事な表現フジテレビ「F1グランプリ」。特に「音速の貴公子」はセナの代名詞ととして、今も多くの人に認知されていると思う(やはり、川井さんの口からも最初にこれが出た)。

2.新分野で結果を出した

プロレス実況で確固たる地位を築いたにもかかわらず、新たな分野を切り拓いて結果を出した点も素晴らしい。おそらく、本人もプロレスに代わる代表作を探していたのだろう。新分野に挑む心境について古舘さんは、著書の中で子供の頃から慣れ親しんだプロレスを「ヘソの緒」に例えたうえで、思いを綴っている。

「猪木というヘソの緒、プロレスというヘソの緒を断ち、あたかも母の胎内から産道を通って、この世に産まれ出づる赤ん坊さながら、ボクはF1という新たなる母を目撃しに行くのだ」

古舘伊知郎「くちびるにガムテープ」(日本文芸社、1989年)

プロレスに別れを告げ、F1に新天地を求めた古舘さんのデビュー戦が、アントニオ猪木の第二の故郷・ブラジルだったというのも不思議な巡り合わせである。F1へ挑戦する自分を「赤ん坊」に例える表現は、放送でも使っており、中継の一発目、1989年3月26日のネルソン・ピケ・サーキットのバックスタンドでマイクを握ってのしゃべりは、まるで”実況所信表明演説”のごとく強烈だった。

「F1実況は初体験、まさに赤ん坊のようなものです。どうせ赤ん坊だったら僕も思いっきり赤ん坊がこの世に生まれ出た怯えと武者震いの中で見たままをオギャー!と実況してみたいと思います。まもなくこのサーキットにセナが!プロストが!ピケが!中嶋が!マンセルが!ベルガーが!ナニーニが!様々な強豪が走ります。F1はまさに、スピードの力だ!」

フジテレビ「F1グランプリ」という

1989年のブラジルグランプリから6シーズン、実況を担当した期間の心境を本人が振り返っている記事も興味深い。

古舘さんが中継前に入念に準備することについては、すでにいろんな所で語られているが、ここでは解説者・今宮純さんの証言を引用しておく。

「古舘さんの勉強熱心さには、私も感心させられることが多い。初めて訪れるサーキットでも、事前に日本でビデオを見てチェックしてあるので、『カメラが以前よりも低い位置にあるのではないか』とか、あるコーナーの看板が『シェルからモービルに変わってますね』とズバッと指摘してくる」

今宮純「パドック・パス」(講談社、1991年)

3.スポーツ中継の見せ方を確立した

スポーツ中継は競技を問わず、世界レベルの戦いを見せると、どうしても画面は外国人(その多くは西洋人)選手ばかりになってしまう。日本人vs外国人の図式であれば視聴者は「ガンバレ!ニッポン!」で感情移入できるが、外国人同士の競い合いで視聴率を取るのは、やはり難しい。

F1の場合、サーキットを走る26台のマシンのほとんどが外国人。たった一人の日本人、中嶋悟がリタイアしてしまえば、途中からは画面の中は外国人のみとなってしまう。そんなときに実況でドライバーの人間性を強調することで、視聴者の興味を外国人ドライバーに惹きつけることができるのだ。そして、その手法は「世界陸上」や「世界水泳」の見せ方にも受け継がれ、のちに続く90年代のスポーツ中継の見せ方のベースを構築していったのである。

以上が、古舘伊知郎のF1実況の凄かった点である。当時のF1ブームのことも実況のこともまったく知らない世代にも少しは伝わっただろうか。モータースポーツに興味のない人を言葉で振り向かせた古舘さんは、間違いなく言葉のサーキットを爆走していた実況史上最速の男であった。



参考文献・資料
古舘伊知郎「新説F1講座」(勁文社、1991年)

フジテレビ「F1グランプリ」という

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