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罪悪感や自責の念をやり過ごすこと

彼が亡くなって2年が過ぎて、罪悪感や自責の念を抱えることが減りました。減りました、というかそれらを考えないように意識することにしました。罪悪感や自責の念でいくら自分を責めてみても、彼が帰ってくるわけではない、と改めて思ったからです。こういうこと、亡くなった直後から親や心療内科の先生にもさんざん言われてきましたが、自分で気づかないとやっぱりわからないものですね。

とはいえ、罪悪感や自責の念がなくなったわけではありません。気を抜くと引っ張られます。「どうして彼は自死を選んだのだろう」「どうして彼はわたしを置いていったのだろう」「どうしてわたしの誕生日の翌日に亡くなったのだろう」『どうして』は、増えることはあっても減ることはありません。

ほかにも、「なんで自分は生きているんだろう」「わたしのなにが彼を自死に追い込んだのだろう」「わたしなんかが楽しい時間を過ごしちゃいけない」「彼を自死に追い込んだのだから、わたしは一生ひとりで生きるべきだ」というようなことも思ったりもします。

彼が亡くなった直接の原因がわたしでないことは頭ではわかる。でも心が追い付かなかった。だから、彼が亡くなった後、特に一周忌を過ぎてから三回忌までの1年間は罪悪感や自責の念で頭がいっぱいでした。頭の中は「死にたい」でいっぱい(死にたくなんてないのに)。そうした感情を抱えながら仕事をしていたので、体調不良で休むこともしょっちゅうでした。

三回忌を迎える半年くらい前から、彼の形見の指輪に話しかけるようになり、彼にあてた手紙をブログに書いて、自分の正直な気持ちをとにかく出しました。発した言葉は、「さびしい」「つらい」「かなしい」が多かった(当たり前か)。書き始めて半年間とにかく出し続け、彼の三回忌を迎える頃には「もういいか」と思えるようになりました。罪悪感や自責の念で自分をいじめるのは、もういいか、と。

しかし、変な話ですが罪悪感や自責の念を抱えないことで新たな罪悪感が生まれました。それは「彼のことを思っていないのでは」ということ。罪悪感を意識しない=彼のことを思っていない、というふうに捉えてしまったのです。もちろんそんなことはなく、彼のことを思わない日はありません。それでも、罪悪感を感じないことは、彼のことを好きではなくなった、と思ってしまったのです。

彼が亡くなったことは悲しいしつらいけど、わたしはこれからも生きていかなくちゃならない。それは、自分のような思いや経験を、自分の家族(母と妹)にさせないため。そうすると、罪悪感や自責の念を抱えたままでは到底生きていけない。だからそれらを脇に置いて、日々暮らしていくことに決めました。

脇に置いたことにより、あの日の彼を置き去りにしたような気持ちも生まれましたが、そこは「あなたを忘れた日はない」と、その都度改めて思い直すことで、彼を置き去りにしたような気持ちを消しています。

いろんなやり方を試して、自分の罪悪感や自責の念を消してやり過ごす。なかなか難しいことだけど、そうやって生きていくのが自分のテーマなのかな、とこの頃思うようになりました。

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