イジメも戦争もなくならない
イジメの論争になったとき、専門家は「学校や周りの対策はどうあるべき?」という話をするのに対し、一般人は「いや、いじめる人が悪いからやめさせるべき」という話になる。
「いじめる人が悪い」
そりゃそうだ。私もそう思う。
でも、こんなこと大昔からずっと言われてきている。
でも、なくならない。
戦争だってそう。
今、先進国まわりは比較的平穏だけど、これはお互いピストル向け合って、「撃ったらこっちも撃ちます」という状態になっているだけ。平和じゃなく、ただの小康状態だ。実際はピストルじゃなく、核爆弾とか、最近は中国とアメリカが開発に躍起になっているドローン爆撃機とか。
世界史や日本史みてたらよくわかるけど、人間ってのは本来素晴らしい生き物じゃない。「自分の利益が一番」の汚い生き物だ。
有史以来、現代までずっと戦争している。殺し合いをしている。
戦争は「強いものが弱いものを攻撃する」ときに発生する。現在の中国VSアメリカみたいな「強VS強」では戦争は起こりにくい。
逆に「強VS弱」なら起こりやすい。もちろん勝手な大義名分を作って戦争を起こすのは「強」の方。
「強VS弱」イジメとまったく同じ構図だ。
だから弱い国はせっせと武力増強をして、「強VS強」の構図を作り上げるのだ。これで戦争が起こりにくくなる。これが安倍っちの言う、「抑止力」だ。
イジメをやめさせたいなら、国家と同じく「強VS強」を作ればいい。いじめられたら身体を鍛えてムキムキになるもよし。強力な仲間も作るもよし。いじめられるたび、勇猛果敢に向かっていくもよし。とにかく、「強VS強」の構図を作って、いじめる側の「利」がなくなればイジメはなくなる。
こんな風に力で抑え込まないとどうしようもないのが人間というもの。
ということは、もう人間には期待できない。人間というのは差別する生き物だし、自分の利になればイジメもする。戦争もする。
「世界平和」
とか声をあげる人だってどこかで知らずのウチにイジメに加担しているかもしれない。差別をしているかもしれない。バカ騒ぎする若者、力を持たないお年寄り、態度のデカい男、行儀の悪い女、を見下しているかもしれない。もちろん私だって「してない」とは言い切れない。その些細な差別が戦争の原因だというのに。
だから、「人間というのは差別をする生き物」だとわかっていれば、「いじめる側が悪い」なんていくら言ってもイジメはなくらないことがわかる。
じゃあ、どうしたらいいかというとやっぱり専門家が言うように「イジメが起こったときの対策」「できるだけ起こらない対策」などの周りの環境を整えるのが大事だと思う。
当たり前のことは当たり前のこととして声をあげる必要があるが、「いじめる側が悪い。はい、論破」みたいなこと言って、それ以上議論しないのであれば、何の意味もない。
いじめ、差別、戦争。人間が人間である以上、動物の一種である以上、これらはなくならない。完全になくすには「差別をすると電流が流れるチップ」みたいなのを人間の頭に埋め込むしかないと思う。
「人間は差別をする生き物」
これを念頭に置いて、「平和」「いじめ反対」なんて表面的なことばっかり言うんじゃなく、「対策」の議論がもっと必要だと思う。苦しむ弱者のためにならない。
綺麗ごと、口当たりの良い言葉だけに終始するのは卑怯だ。本人は気持ちがいいのかもしれないけど、何のプラスにもならない。
働きたくないんです。