「正義」VS「正義」のお話
最近、「なぜ言い合いや対立が起こるのか?」という問いに対して、よく聞くワードがある。
「”正義”と”悪”がぶつかっているから言い合いや対立が起こる」のではなく、『どれも”正義”だから、言い合いや対立が起こる。』
この考えに対してとてもしっくりきている。
今までを思い返せば本当にその通りで、誰も自分を”悪”だと思って「相手を苦しめてやろう」と思って主張したり、行動する人はほとんどいないのではないか。
どちらかというとそこにあるのは、自分のことを”正義”だと思っているからこその発言や行動なのだと思う。
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例えばある銀行で男が強盗を起こしたとする。
一般的に見ると、ここではお金を盗んだ強盗が”悪”で、泥棒を捕まえる警察側が”正義”だと思う。ただ、本当にそれだけだろうか。
男には愛する家族がいる。
ただ家庭にはお金がない。そして、いつどうなるかわからない病気で、寝たきりの状態の妻と、そんな母を見ながら、状況をどうすることもできず、日々貧しい暮らしを送っている子供達がいる。だから、少しでも妻の病気が良くなって欲しい、少しでも家族に幸せになって欲しい。
そんな想いから強盗をした。
そうなると、この一般的に”悪”と見られる男の強盗という行為は、実は男にとっては”正義”なのかもしれない。
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このように、人によって立ち位置や視点は異なり、だからこそその立ち位置や視点の数だけ”正義”が存在する。
今までにあった言い合いや対立を思い返しすと、それは、”正義”と”悪”の戦いだったのだろうか。
「正義」VS「正義」の戦いだったんじゃないか。
ここで僕が言いたいのは、
人それぞれの立ち位置や視点がある中で、「どれも正義なんだ」ということを理解し、”自分以外の正義を大切にする”こと。
「自分は何を”正義”としているのか?」
そして一方で、
「相手は何を”正義”としてるのか?」
この問いを大切にする必要があると思う。
ただ、どうしても相反する「正義」VS「正義」の戦いがあるのは事実だと思う。
その場合ここで考えたいのは、
「そもそもこの”正義”と”正義”はわかり合う必要があるのか?」ということじゃないだろうか。
これに対して、「①わかり合う必要がある」のであれば、お互いの”正義”を整理し、それらをすり合わせていく作業、いわゆる”対話”と言ったものが必要かもしれない。
しかし、お互いの”正義”が異なり、「②わかり合う必要がない」のであれば、逆に”分かり合えないということが分かり合える”ので、お互いがお互いの”正義”をぶつけ合って精神を削り合う必要などなく、変なエネルギーを消費しなくて済む。
ただどの場合にも自分が共通して大切にしたいのは、
「どれも正義なんだ」ということを理解し、”自分以外の正義を大切にする”こと。
ここはブラしたくいないなと思う。人間誰しも自分にしか見えていない”主観”の世界を生きていて、どちらかというと自分はこの主観が強いタイプだと思う。
だからこそ、この自分の良くない部分は改善していきたいし、何より『「どれも正義」なんてことが言えて、自分以外の正義を大切にすることができるってめちゃくちゃかっこいいな』
と昨日ある人の話を聞いて、心を動かされた。
そんな心が広い人間でありたい。というかなりたい。
今、関大サッカー部には多くの”正義”が存在する。
どの意見も間違っていないし、どれも正しい。どれも”正義”。
ただ、俺らの大事にしたい”正義”ってどんなものなんだっけ?
これだけはみんなで追求し続けたいな。
って思います。
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