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コロナにより帰国するまでの3週間 in London

※ロンドンでの私的な体験を日記調に記録したものであり、感染者数を除きウイルスや医療についての専門的な内容には触れてません。コロナウイルス自体について知りたい方は厚生労働省web site(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html)等、公的機関が公表している情報をご覧下さい。


昨年6月末よりロンドンへ留学していましたが、COVID-19 の影響を受け悩みに悩んだ挙句、3/28に本帰国しました。今は隔離期間として、ホテルにてこれを書いてます。本当に3月は、特に中旬以降は一瞬で過ぎ去りました。物凄いスピード感で変化する情報を常に摂取しながら、それに負けないスピード感で自分が今後どうすべきなのかを考える、そんな時間を過ごしました。なんと言ったって私はフライトの4日前まで帰国する気なんか1ミリたりともなく、現地就職したいぐらいだったのです。

日本でのみ情報を得ていると、現時点ではなかなか実感しづらいかもしれませんが、世界中でコロナウイルスは瞬く間に感染拡大し、各国でロックダウンの措置を取るなど不穏な雰囲気に包まれています。そんな誰もが経験した事のないような状況下で、私個人がロンドンで経験した事、感じた事や帰国を決意した理由を記録しておきたいと思います。また微力ながら、この文を通してウイルス拡散のスピード感と深刻さが少しでも伝わり、今後の拡散を抑える為の行動を一人でも実行して頂けると幸いです。ちなみに自分の為の記録として私的な内容がメインとなりますがお許しを。


2/1  始まりはまずこの日から。人生初の差別を受けた日。

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人生で初めて差別を受けました。「ウイルス!」と大声で呼ばれ、振り返るとケラケラと馬鹿にしたように笑われました。平静を装おうと努めましたが、1週間近くは街行く人の目線がやはりどうしても気になり、人種差別や性差別について考える日々がしばらく続きました。

ちなみに2/1時点でイギリスは国内感染はまだまだ少なく、生活は至って普通、コロナはアジア人の菌、自分たちは関係ないという認識が強かったように思います。私自身も、中国人の友人やその家族のことを心配しつつも、それがいつか自分の身に降りかかってくるとは思いもしませんでした。

それから1ヶ月、中国の友人を中心に少しづつマスク着用者や、ハンドサニタイザーを頻繁に使う方が増えてきました。また学校にてハンドジェルマシン設置がされたりと、コロナを徐々に意識するように、、。

ただそれでも、2月中は通常通り生活していたし、世界でも全体では今ほど深刻な問題になっていなかったように思います。


3/7 教授からのメール

私たちのコースリーダーから一通のメールが。「卒論に関してだが、仮にコロナウイルスが深刻化しても問題ないようにPrimary Research(出版物以外から得た情報。例えば自ら行うアンケートやインタビューを通して得たデータ)は、Onlineで実施出来る方法を考えることをおすすめします。後日行うプレゼンでもその方法を説明するように」

3/5にUKで始めてコロナウイルスによる死者が確認され、今後深刻化する事を見込んでの事だったのでしょう。

「オンラインだけでPRとかどうする?」「そんなシリアスに本当になるのかな?」そんな事を口々に言い合いながら、半信半疑のままひとまずコロナが深刻化した世界の中でもリサーチできるよう準備をしました。


3/11 学校最後の日

この日は2月中から取り組み始めた、卒論の計画発表会。各自プレゼンを十分に準備した上で、教授4人、学生8人、ビデオカメラ2台を前に、自分のテーマとリサーチ方法を懸命に説明しました。

ちなみにこの日はspring termの最終日。

プレゼン後は春休み中の過ごし方(もちろんコロナ関連)について先生から説明がありました。ちなみにこの時点で、1日に確認された感染者が今まで数十人単位だったのが、100人200人と増えてきていたタイミング。そして学内の職員が感染したという噂も立っており(後から学校側は噂を否定していましたが)、当然学生側も不安に感じ始めていました。海外旅行を予定していたがどうするべきか、コロナがまだあまり流行ってない母国に帰るべきか、と言った質問が殺到しました。

しかしながら専門家でも何でもない私たちは、不安を感じつつもこの先の感染拡大ペースを予測できる訳もなく、春休み明けはまた学校に来て、皆で学業のハードさに対し弱音・愚痴を吐き合いながら、ランチしたりお茶したり、勉強の合間に喫煙所で休憩したり、週末にはパブやクラブに行ってストレス発散したり、、といった日常を送るつもりでいました。

この日が、最後の登校日になるとは当時、誰も想像しなかったと思います。


3/12 外出を控え始めた中華圏の友人達


プレゼンが終わったら友人達と、Barbican Centre で始まったばかりの写真展 Masculinitiesに行く約束をしていて、私は行く気満々で楽しみにしていました。勉強ばかりでなかなか美術館へ行ったりストレス発散が出来ていなかったので、コロナの事は気になりつつも、当時の私は自分の事を優先させてしまっていました。

ところが対照的に、中華圏の友人達は春休みに入るや否や、一斉に帰国し始めました。Barbicanへ行く約束をしていた台湾出身のHuaichin, Derekも、「俺たちは今、外出すべきではない。お前も家の中にいた方が良いぞ」と言い、結局彼らは一緒に来ませんでした。

私はこの時点で、コロナの怖さをよく理解していなかったのでしょう。今思うと本当に愚かで無責任な行動かと思いますが、自分のリフレッシュの為に、Barbicanへ行き、その後Shoreditch周辺を散歩して1日を過ごしました。

おそらく中華圏は被害が最初に起きた国であり、情報も十分に行き渡っていたのかと思います。反対に、イギリス人はじめ、他の国出身の人々はまだ、今ほど深刻に事態を捉えておらず、少ないながらも外出している人はまだまだいるような状態でした。

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3/16 自主隔離を決意した日

この日は朝から学校の図書館で、プレゼンのフィードバックを踏まえつつ、卒論をがんがん進めていました。クラスメイトで仲の良いオーストラリア出身のOliverも昼から合流しましたが、そこから勉強は中断し話題はコロナへ。「明らかに街から人が減っている」「Tubeに人全然いなくない?」「マスクの人増えたよね」「てか中国人まじで見かけなくなったね」そんな話をしながら天気が良かったので外でいつものようにタバコを吸って、散歩していました。

図書館に戻ると何故か入り口に鍵がかかっている。時間はまだ16時で、春休み中も18時までやってるはずなのに、何で?二人で焦っていると司書さんが中から開けてくれました。「コロナのせいで短縮営業になったのよ、今後もこのまま学校自体空いてるかわからないわ。あなた達も会議室で見たと思うけど毎日学校はコロナ対策の会議してるのよ。」図書館までの廊下にガラス張りの会議室があって、毎日なにやら真剣に議論していて、コロナ関連だろうなとは思っていましたが、近日中に学校閉鎖になるかもしれないとは。

そんな不安な気持ち、いよいよコロナがやばいという危機感に追い打ちをかけるように、帰り道に見かけたEvening Standard(地下鉄付近で配布している無料の新聞)の見出しにはこう書かれていました。

"LONDON AT CENTRE OF UK VIRUS OUTBREAK"

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図書館の急な短縮営業、そしてこの新聞の見出しから「いよいよ本当にやばいんだ。外出は明日からやめよう。」

事態の深刻さをこの時始めて実感し、次の日も朝から勉強する約束をしていたOliverにも、明日は家にいてしばらく様子を見ようという話をしました。


3/18 突然の別れ

翌日、そのOliverから「家族と話して、3/19のフライトでオーストラリアに帰る事になった」と連絡がありました。

一昨日まで学校で会っていたのに随分と急だとは思いましたが、それもそのはず、一週間前には確認されてる感染者数が1,000人以下だったのが既に2,000人に達しており、感染拡大ペースから、今後より深刻化する事は明らかでした。

彼の故郷が当時感染被害がほぼなかった事を考えると妥当な判断だったと思います。また、この時点で、クラスメイトの約70%程は既に帰国しており、少しづつ、外国人として暮らすには医療面が不安だ、こんな大変な状況だからこそ家族と過ごすべきだ、というムードになりつつありました。

別れの挨拶と非常食・トイレットペーパーを受け取る為、Oxford Circus Stationで待ち合わせましたが、この日の時点で明らかに人通りがなく、異様な雰囲気が感じ取れました。また、Tubeには乗車してる人こそまだまだいるものの、先週以前に比べ、アジア人への視線がより厳しいものに感じられました。


3/23 Lockdown開始

3/17-22 の6日間は、室内でできる事を、いつもと変わらぬ生活リズムで行う事を心掛けていました。

朝食後に筋トレかヨガ、フラット内を毎日一箇所掃除をしたらシャワーを浴びて、その後は卒論に集中。LBC(ラジオ)を聴きながら情報収集はしつつも、この時点では帰国の事は全く考えていなかったです。というより、選択肢に入れないよう目を逸らしていた、という方が正しいかもしれない。

3/23、ボリス・ジョンソンの日課と化していた毎日18:00からのコロナニュースが、20:30にずれるとのニュースを目にし、まさか、と20:30に合わせ身構えるようにLBCを聴くと、、、来ました。ロックダウンの発表。

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この日の時点で感染者数6,650名, 死者は335名。(https://www.nytimes.com/2020/03/23/world/europe/coronavirus-uk-boris-johnson.html)

一日の感染者数がついに1,000名を超え、感染拡大が加速度的に増えている中でのこの決定は、もはや必然でした。

セントマに通いながらカフェでバイトをしていたフラットメイトのNoaは、「仕事がなくなる、、家賃が払えなくなったらどうしよう」と絶望し、その晩はロックダウンの話で持ちきりでした。


3/24  唯一の日本人友達の帰国

その翌朝、同大学グループの内の一つでFine Artを専攻する日本人友達から電話が。「明後日のフライトで帰る事にしたわ」

彼女の帰国はかなり自分に影響を与えました。なぜなら、共に日本の愚痴を言い合ってた友人であり(留学生にありがち笑)、彼女の口から、日本に帰るなんて言葉を聞く日が来るとは思っていなかったのです。彼女の決断は、今まで「帰国」の二文字から目を逸らし続けていた自分に、それと向き合うきっかけを与えてくれました。

この日は丸一日、残留するメリットとリスクを考え続けました。そこで気づいてしまった事が、「もう残るメリットないじゃん!」という事でした。

残っても、

・UKのニュース曰く、コロナの収束は早くて7-8月頃と言われてる。

・他国の様にロックダウンの延長の可能性あり。複数回行う可能性もある。

・ビザ期限的に奇跡的に早く収束したとしてもすぐ帰国しなければならない

・学校は授業を完全オンラインへ移行する事を確定している。

・ロックダウンにより友人と直接会えない

・ただでさえ難しい現地就職を、この状況下でビザ期限までに行う事は不可能。

頂いていたパートタイムの仕事もキャンセルになった。

・医療面のリスク。限られたキャパと外国人という立場

これらの理由から、帰国を決意しました。

意地でもロンドンに残りたいとう感情と、冷静にメリット無いし、リスク回避をしなければという理性のぶつかり合いが続き、この日の夜には帰国を決意しました。

この日ほど、悔しい想いをし、やるせない感情になった日はありません。しかし今は健康を優先すべきだ。留学が突如中断になったとしても、今まで学んだ事がなくなるわけではない。またUKには仕事で戻って来ればいい。そう自分に言い聞かせる他ありませんでした。


3/25  帰国の段取り

さて、帰るとはいえフライトは通常通り運行しているのか。不安を抱えながら予約をすると、3/29以降の減便と一部運休のお知らせが。ギリギリこれを知る事ができよかった、と思いつつ3/27のフライトを予約。他にもヒースローまでのタクシーと帰国後の隔離期間の為ホテルを抑え、パッキングを開始しました。

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連日天気が良く、ひきこもり中は毎日リビングから夕日を眺めるのが日課になっていました。

3/27 帰国の日

大学院入学前の語学コースからずっと同じクラスのHuaichinと、奇跡的にフライト時間が2時間差だった為、空港で会う事に。彼は同い年で、同じ様にデザイナーズブランドの内勤の経験があり、ちょっと遊び癖があるけど唯一仕事の話など共感しあえるベストフレンドでした。この日ばかりはSocial distancingは完全無視して力強くハグして別れました。お互いに、ロンドンに絶対また戻ってくるし、お互いの国も近いからまたすぐ会えると強く信じているので、全く涙は出ませんでした。

とはいえ再会したらめちゃ泣くだろうけど。


3/28 日本到着

はい、これが日本か!とギャップに愕然としました。Social Distancing完全無視の検疫への長蛇の列、なぜか列を前に詰める様促してくる空港職員、検温すらしないゆるい検査(軽症者はスルーという方針?)。

ロンドンも数週間前はコロナへの危機意識が低かったとはいえ、日本てもっと前から話題になってるよな?なんなんだ?とモヤモヤしながら、40分、スーツケースを引きずりながら羽田付近のホテルまで徒歩で移動しました。途中で食料を届けに来て来れた家族と合流し(大感謝)、話しながら向かうとあっという間だったのでまあ良いですが。

ちなみにホテルでニュースを見ていると、フライト前日が感染者累計約12,000名だったのに対し、2日間で合計約5,000名増え、約17,000名となっていました。悲しい事に、亡くなった方の報道も増えており、ウイルスの拡大ペースのスピード感と深刻さを改めて感じました。

最後に

以上が、帰国前に過ごした約3週間です。完全に私的な記録、もはや日記の様な内容となりましたが、個人の経験談から、どの様なスピード感で生活が変わっていったのか、そして日本も同じくこれから間違いなく起きる(すでに起きつつある)第二のウイルス流行を、少しでも抑えるために各々がどう行動をすれば良いのか考えるきっかけとなれば幸いです。


私だって、できる事なら帰国したくなかったです。

ロンドンで生活を続けて、きちんとクラスメイトのみんなと卒業したかった。

せめて最後に直接お別れだけでも言いたかったけど、それすら出来なかった。

そのまま向こうで就職出来たら、なんてプランだって思い描いていたし、そのきっかけはあと少しで掴めそうだった。

めちゃめちゃ悔しいけど、健康を優先するしかなかった。

それが今できるベストの選択肢だった。


東京でもロックダウンの話が出てきています。本当に徹底して、対策をして下さい。家から出ない、買い物や運動の為の外出から帰ったら手洗い、着てた服は着替える、顔は触らない、他人とは2m間隔を空ける、スマホをはじめ頻繁に触るものは除菌するetc... 基本を徹底して下さい。自分の為だけじゃない。家族や自分の大切な人、友人など身の回りの人の為はもちろん、社会での蔓延を避け、重症化リスクの高い人々への感染を避ける為です。今朝、著名な芸能人の方も亡くなりました。いつどこで誰が誰に感染させてしまうかわかりません。国から言われなくても、個人個人が出来る事をしっかりやりましょう。無責任な行動をしている人が周りにいたら遠慮せず注意しましょう。今はそんな事躊躇すべき時ではないし、それで切れたり疎遠になる様な縁なら、大した縁じゃないです。

我慢しなければならないことも今はあるかもしれませんが、コロナが落ち着いた後の世界を想像しながら、皆で乗り越えましょう。私は世界中に今は散らばっているクラスメイト達とコロナお疲れ会をしたいと思ってます。

皆様が心身共に健康に過ごされます様、祈っています。


※文中に記載のなかった感染者数のソースは全て以下からです。

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