きわダイアローグ02 渡邊淳司×向井知子 3/4
3. どこまでが「自分」なのか、「自分」という主体を他者に委ねる
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渡邊:およそ2年前になりますが、スポーツ・ソーシャル・ビューの研究メンバー(伊藤亜紗さん、林阿希子さん)とともに、輪にされた紐(ガイドロープ)を目の見えない方と持って歩いたり走ったりする、伴歩/伴走を行う会に参加しました。そのとき、目の見えない方をガイドする役割だけでなく、目を閉じてガイドされながら歩いたり、走ったりということを体験しました。ガイドをされているとき、印象的だったのが、目を閉じて歩く際には「今、道がまっすぐかな、路面がでこぼこしていないかな」と足で感じながら歩くことができました。しかし、走るとなると、途端にそれが不可能になってしまうのです。走るときには、足の裏で感じながら身体の動作を調整するのでは間に合わないのですね。つまり、大げさですが、自分が生存できるかどうかということを、すべて相手に委ねる状況ができていたんです。それは、自分にとってすごく衝撃的で、かつ、快楽とも言える体験でした。もし、転んだり、木にぶつかったりしたら大怪我をしてしまうわけですが、それを委ねてしまって走ること、信頼しながらどうにでもなれとあきらめる感覚というか、不思議な気持ちよさがありました。僕だけでなく、一緒に行ったメンバーも同様のことを言っていました。
向井:出口先生がおっしゃっていたという「主体を委ねる」ことを、渡邊さんご自身が体験されたのですね。
渡邊:そうですね。出口先生のお話が自分の体験としてもしっくりきたのは、このときの体験があったからだと思います。歩いているときは、「倒れないように」「怪我をしないように」と、自分の安全を考える主体としての自己がいて、それから相手や環境がある。自己を他者や環境と区別し、主体としての自己を守ろうとしていたんですね。それが、走るという段階になったら、それを考える余地はなくなってしまい、自分の身体の安全をガイドである他者に委ね、それを信じて足を動かすことになる。つまり、相手と自分が一つのシステムとならないと走っていけない、ひいては生きていけない状態になったんですね。それは、ある種「われわれとしての自己」を実感した瞬間でもあったのかなと思っています。もちろん、他者との関わりは、主体と主体で始まるのですが、一線を越えて一つのシステムになった感覚が自分のなかにありました。
向井:それを伺って、ワークショップ「インクルーシブ・ピクニック」をメインで企画している、きわプロジェクトの吉田由梨の話を思い出したのですが、彼女が手話をやっているんですね。ただ、彼女は、言いたいことをすべて手話で流暢に喋れるわけではないそうなんです。それが、あるシチュエーション、例えばキャンプファイヤーをやっているようななか、お互いの間に一体感みたいなものが生まれたとき、その二人の間だけに通じる新しい言葉というか、別の言語や表現が生まれる瞬間があると言っていました。それを聞いた際に、そこで生まれる言葉や表現というものは、「わたし」がその人を理解させるためにとか、「わたし」がその人に伝えるために、といった明確で一方向的な線引きがあるのではないなと。お互いをお互いに委ねた際にふと変化した緩やかで柔らかい経験そのものが、「ああ、ここに何かが生まれた」ということではないのかなと思いました。
渡邊:なるほど。「わたし」がどんなときに「われわれ」になるのか、そのモードの変化がいつ起こるのか、とても興味深いです。「わたし」を他者や環境と分断されたものであると考えるとき、それは明確に自己と他者の間に境界線を引くことになります。そして、どちらからどちらへという因果を設定することになる。先ほどの例でいうと、目を開けているときは、「わたし」があなたをガイドする。閉じているときは、「わたし」はあなたにガイドされると考えがちです。しかし、目を閉じてガイドされていたとしても、「わたし」は伴走者とともに、走るという行為を実現する主体でもある。走らされながら走っている。因果を設定することが難しいんですね。一方で、人の意識は因果関係をつくりたがります。例えば、手をパンッと叩いたときに、たまたまうしろで爆発が起こったとする。実際には何の関係もないのに、自分の行為の直後に起きたことに対して因果を感じて、自分が手を叩いたせいで、爆発が起きたと思ってしまう。あとから理由付けをしてしまうんですね。わからないものに、とりあえず因果をつくっておいてわかったことにするというのはよくあって、日本的な例を挙げるならば、「悪いことが起きたときに、妖怪のせいにする」という物語的な説明もそうでしょう。しかし、現代社会では、とりあえず因果を設定してわかったことにしておくと、本当に取り返しのつかない放射能やコロナといったものもあります。そう簡単には割り切れない因果、それとどういうふうに関わっていくのか、僕らの世界認知の仕方をどうしていけばよいのか。
向井:おっしゃるとおりだと思います。実は、スヴェン・ヒルシュともその話になったんです。渡邊さんは「因果」という言葉でおっしゃられていますが、自然やウイルスに対してもそうですけれど、見えないものに対する不安や恐怖と、どうやって「折り合いをつける」か、どうやって「付き合っていくか」ということへの感受性が、元々は人間に備わっていると思うんです。その感受性が失われたというわけではないと思うのですが、麻痺させられているような状態があるように感じます。無意識だったと思いますが、ヒルシュがドイツ語の「umgehen(ウムゲーエン)」という動詞を、何度も使っていたんです。「um」は英語で言うところの「at」や「around」に近く、「gehen」は「行く」を意味します。「umgehen」というのは、「迂回する」「取り扱う」「あしらう」みたいな意味で、英語に訳すと「interact」の意味も含むのですが、わたしの感覚で言うと、「うまく折り合いをつけてすりぬける」や「周りとうまくやっていく」という言葉で言い表せる気がしています。今、例えば、新型コロナウイルスへの対応策など、「こういうエビデンスがあるから0か1で判断しましょう」というようなことが、ものすごく求められがちですよね。でも、そういった割り切れる記述や解釈だけではなく、包括的な経験や感受性によって判断できるような方法があるといいなと言いますか……。
渡邊:まさにそうですね。人間には、意思決定をする言語的・意識的な部分があり、それを自己と考えがちです。しかし一方で、身体に基づく感応的・意識下的な行動や判断もあるはずです。意識下の行動や判断にもある種の身体的ロジックがあるはずなんです。しかし現在は、そこにアクセスすることが難しくなっている気がしています。意識のそれに対する感受性が弱くなっているのか、反応する身体性が弱くなっているのか、どちらなのかはわからないのですが……。僕は、身体的ロジックを過小評価する必要は全くないと思っていて、だから、「心臓ピクニック」のワークショップを行なったり、身体という自分のなかのもう一人の他人と、どうやってうまくやっていくかを考えたり。向井さんがおっしゃった「umgehen」の状態をどのようにつくっていくかが、今、僕らの身体性に求められていることなのかなという気がしています。
向井:これまでも「間(ま)」や「間(はざま)」といった、多義的な世界をつなぐ時空間を扱ってきてはいるのですが、それが、「きわプロジェクト」の「きわ」ということを考えるにあたって少し変化してきているというか、鮮明になってきたものがあるんですね。近年一緒に公演を行なった作曲家と、森を題材にしていたこともあって、度々森に入っていました。そのなかで訪れた出羽三山の一つ、羽黒山は、上の本堂に行くために2446段というものすごく長い石段を登らなくてはならないんです。その山道を歩く間、要所要所にいろいろな神さまの祀られた小さい祠があるんです。それから、山道の割と登り始めの場所に高い杉の木が生い茂るなか、東北で一番古い五重塔があるんですね。そういった、たくさんの祠や五重塔を見て「一体何なんだろうな」「いろいろな神さまが祀られているんだな」と思いながら進んだんです。そして、羽黒山の山道を逸れる、奥の細道につながる横道にも入ってみたんですね。そうしたところ、晴れていて緑が美しいにもかかわらず、横道には、何と描写していいかわからない森の怖さがあったんです。前述の五重塔の写真を、ある建築家に見せたところ「これ、この五重塔はまさに自然だね」みたいなことを言っていたのですが、そこで、祠や五重の塔のある山道から上がっていくこの道筋は、人間が自然との折り合いをつけるために、尊厳と脅威をもって構築してきた自然、守られた「きわ」なのではないかと、思いました。おそらくこの長い山道を築き、五重塔を建て、ところどころに祠などを祀ることは労力と技術が必要なことだったと思うのですが、それらを設けることによって、人間は、その時代ごとの知恵と技術を駆使して「きわ」をつくりながら、自然となんとか共存しようとしていたのだろうと。
これを現代の人間の大いなる自然との向き合い方に置き換えてみた際に、自然エネルギー施設の導入などがあります。例えば、デンマークのコペンハーゲンに、全面ソーラーパネルの小学校があるんですね。この小学校は、目の前のベイエリアと共存するためにわざわざ青いソーラーパネルを特注して使用しているんです。
あるいは、アイスランドには、レイキャビックから少し郊外に行くと地熱発電所があり、そこでは黄緑の苔で覆われた黒い溶岩の大地に地熱発電のパイプを張っている。これらは、一つの風景としてきちんと成立しており、人間が善意として、かぎりなく自然と共存しようとしている姿のように見えました。しかし、一方でどこかに違和感を覚える。これが、都市と自然の問題を一緒に扱ってみようと思ったきっかけだったんです。
そのような視点で国内の都市部近郊を調べてみると、北九州のベイエリアにエコタウンがあるということを知りました。北九州は、八幡製鐵所に象徴されるような工業化のなかで、公害の街として名をはせたという、負の歴史を持っていました。それが今、学校や文化施設に自然エネルギーを活用するなどして、完全に環境都市に生まれ変わろうとしているんです。ベイエリアに行くと、風力発電の風車が回っていたり、市民や企業の出資で建設されたソーラーパネルが点在していたり、バイオマスの工場の煙が上がってたりという、最新のテクノロジーを使った都市部最大級の景観が広がっている。
そのように、都市近郊として最大のエコタウンをつくっているのですが、そこにポツンとビオトープがあるんですね。そのビオトープは、実は、人間が意図してつくったものではなく、埋めていくはずだった埋め立て地に、雨が降って、水が溜まった結果できてしまった場所。そこを埋める前に、念のため調査をしたところ、絶滅危惧種が住んでいることがわかったわけです。この光景を眺めて、人間が自然とどうにか共存しようと努力している姿がある一方で、そんなことは関係なく自然はもうちょっと大きいところで勝手にやっているなと思ったんです。そこも一つの「きわ」みたいなものでそういうところにもテクノロジーと社会、あるいは現代においての、感じ取れるべき感受性みたいなものはあるんじゃないかなと。
渡邊:現代は、さまざまなものがデジタルになっていますが、わりと見た目としては変わらない部分があると思うんです。例えば、ある街の地図に合わせて何かが起きるというARの仕組みがつくられたとします。このとき、見た目はいつもの街の景色と変わらなくても、物理的なものに対してかぶさっている情報の層みたいなものが、レイヤーとしてどんどん乗っかっていきます。物理的なビルの三次元情報に合わせて、ある目線から見ると、例えば温度の情報が一層重なりましたと。見た目にはわかりづらいのですが、見えない層として重層化されています。物理的には一つしかないにしても、多層的な部分に僕らは同時に足を踏み入れたり、そこの情報を得たりすることができる。その見えない方向へ拡張された環境との折り合いのつけ方は、都市の側にも人間の側にもあるのかなと、聞いていて思いました。
向井:例えば「山ぎわ」という言葉があるように、我々は「きわ」でそこが山であるという輪郭線を意識しています。でも、実際に近づいて見ると「きわ」なんてものはなく、連続体ですよね。「きわ」は限りなく究極の状態を指す言葉ですが、そこは、その先につながっている連続体というか、本来はそこに無限の何かが広がっていたことを想像させる場所のことだと思うんです。山際を思い浮かべるとよくわかるように、それは平面的ではなくて、立体的に見てそう思います。
『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために』のなかで、拡張性という言葉がすごく面白いと思いました。層のお話もされていましたけれど、物理的なものにバーチャルな情報空間の膜がかかっているような閉鎖性がわたしたちを苦しくしているところがあると思うんです。本来はかぎりなく広がっていく可能性を持った外側がある。感覚が感受性としてイメージできると、暮らし向き、ウェルビーイング、暮らしとして生きやすさというものにつながらないだろうかと感じています。
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