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葛藤│嫌われたくないけれど、私は私。

「キッチンマットを敷く意味がわからん」

ひとり暮らしをしていた大学時代、親しかった友人に私が放った一言。友人のなんとも言えない困ったような、あるいはムッとしたような反応を見て、棘のある発言をしてしまった、とちょっとだけ反省した。

ちょっとだけ反省と書いたのは、キッチンマットの必要性がわからなかったからだ。ない方が掃除も楽だし、キッチンマットを洗濯する手間もかからない。見た目もスッキリしていて家が広く見える。

私の放った言葉に対して、友人は何と答えたのだろう。そもそも、どういうシーンで放った言葉なのかさえ、もう忘れてしまったが、友人がキッチンマットを敷いていた理由は、床が汚れないから、実家で使っていたから、見た目が家庭的になるから、などではないだろうか。

そうか、なるほど。書きながら納得した。私の実家にもキッチンマットはあったな。しかし、やはり、私の家にキッチンマットは必要ないと思う。

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このように私には少々ひねくれたというか、常識に従おうとしない側面がある。

キッチンマットのほかにも、今まさに結婚指輪を外して過ごしていたり、パートナーの誕生日を盛大に祝おうとしなかったりする。

結婚指輪を外す理由は、仕事中に気になってしまい、邪魔だから。パートナーの誕生日を盛大に祝おうとしないのは、年に1回しかないイベントを盛り上げるよりも毎日を充実させたいから。

わかってほしいとは思わないが、同じ行動をしていたり、同じ考えを持つ人がなかなか周りにいないので、やっぱり私は変わり者だなと思う。

この文章を投稿したら、私のことを嫌いになる人がいるのだろうか。きっと、いるだろうな。ああ、嫌われたくないな。

そう思っているならば、この私の持つ気質は胸の内に秘めておくほうがいいのだろうか。

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大学生だった小娘な私は、相手の気持ちを考えず、まるで自分が正しいと言わんばかりに発言していた。

今の私であれば、キッチンマットの話題には触れない。少しは大人になったということだろう。

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最後に、
この懺悔とも言える駄文を読んでくださった方に伝えたい。

私は常識に従おうとしないことがあり、じつに面倒くさい人間なのだが、そのこだわりが出る場面はごくわずかで、さほど影響はないと思うので、どうか嫌わないでやってほしい。

よろしくお願いします。

そして、ここまで読んでくれてありがとう。
感謝!にっこり