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アメリカ合衆国の歴史を大人になってから教わった 【あとがき】

ベントー先生の第一回目の授業を受けてから古い友人とメッセージでやりとりしていた。彼女に、私たちがこれまで受けてきたアメリカの「公式」な歴史教育はめちゃくちゃ偏っていたと話したら、彼女は「あーだろうね」と同意するものの、私ほどの怒りを表してはいないように感じた。活字でのやりとりだったからかもしれないと思いながら会話を続けた。

しかし話しているうちに、やはり私たちの間では視点が異なっていると感じる節がいくつかあった。視点というより、「感覚」だろうか。

特に私が気になったのは、「差別は構造的だから先生たちをせめても仕方ない」的な発言だった。「先生たちもきっと自分たちが教わったことを教えてるだけだから。」

悪いけど私は「なるほど、差別への言い訳もどんどん進化しているな」とその時正直思った。昔の「でも白人がみんな差別するわけじゃない」や「差別なんて、もう存在しない」から、「確かに私たち(白人)はみんなどこかで人種差別という加害行為の共犯者かもしれないし、ある意味差別の恩恵を受けているてるけど、差別は構造的な問題だから、仕方ないのであまり責めないで」へと主張が変化している。進歩しているんだか、していないんだか。

構造的な問題だから、社会全体に蔓延している問題だから、個人の責任は問われないでいいのか。

また、友人は「歴史って複雑だから。建国者たちが全員悪い人だったわけじゃないし。」と言っていた。さっきは構造的な問題と言っておきながら、なぜか今度は建国者一人一人がどうだったかについて言及する矛盾は置いておいて。確かに、歴史は複雑だけど、複雑とは、これまた便利な言葉である。英語では「it's nuanced」と言っていたのだけど、本当にこの「nuanced」は便利極まりない。都合悪い時はよくこの言葉が出てくる。

複雑。そう。否定はしないが、、、「複雑だからね」って言い切ってしまえるのも私たちが黒人や先住民ではないからではないか。「複雑だよね」と言えるのは、白人と、有色人種の中でも白人への距離が比較的近い東アジア人の特権ではないか*。アフリカ人にとって、奴隷制度のどこが一体「複雑」な問題だったのだろう。先住民にとって「インディアン移住法」のどこが複雑だったのだろう。彼らにとってアメリカの歴史は「複雑だね」という机上の空論ではなく、生死の問題だったはずだ。人間として生きていけるか、家畜以下の存在として扱われるかは、誰にとって複雑な問題なのか。
(*アメリカ社会の中での東アジア人の立ち位置については一言では表せないのでここでは触れないが、「Model Minority Myth モデル・マイノリティ神話」を検索したり、英語だがこちらのパトリオット・アクトというネトフリ番組の司会者のモノローグが参考になると思う。)

ベントー先生に、構造的な差別を認めると同時に、個人の責任を放棄しないためにどうすればいいかについて読めるものがないか相談してみた。先生からいただいた言葉がとても勉強になったので共有したいと思う。

反人種差別者の多大な努力により、白人至上主義の構造的な性質への理解を広める活動がこれまでされてきたのは確かだ。しかしそれはその構造の中で生活する個人の行為から責任を逸らすためではない。
同時に、リベラル寄りの人がアメリカの文脈において、教師たちを擁護するのも理解できる。覚えておいた方がいいのは、ブラウン対教育委員会裁判以来、アメリカの公立学校は分離主義者とその支持層によって包囲されていることだ。そこでよくある保守層の主張は、「公立教育の崩壊は教育予算の系統的な削減ではなく教師たちの力量の問題である」だ。だから君の友人は、教師への批判をそう言った保守層の言い分と連想したのかもしれない。特に、アメリカでは教師の労働組合は労働組合の最後の砦のようなものだ。生徒たちのために教育システムの改善のために声を上げてきたからこそ、限られてはいるが、そういう教師たちの先進的な運動をサポートすることが大事である。

さすが先生。新しい視点をありがとう。というわけで、アメリカにおいては教師批判はこういった分離主義者や保守派の教育予算削減戦略の背景などが絡んでいることから「複雑」であることを学んだ。

ただ、私も友人も(カリキュラムと認可はアメリカのものだったが)アメリカ国外の私立高校に通ったので彼女は多分こういう背景を考慮していたわけではないと思う。そして、その私立は、私たちが卒業する前の年ぐらいにマックブックを大量に購入して移動式倉庫に保管し、校内の先生からの使用リクエストがあればその教室に移動させて配布するという設備投資ができるほどお金が余っていたので、アメリカの公立学校が抱えるような経済的な困難や予算難はないと思う。今からでもいいので、ぜひ予算を組んで、歴史の授業を見直すためにベントー先生のような方を呼んで教師のための研修会を開いてほしい。国家お墨付きの教科書以外のリソースも用いて多角的に歴史を教えないと、「構造的差別」に加担しているだけになる。

ベントー先生の授業ではその後、リンチ(白人が黒人の奴隷や解放後の市民に行った殺人テロ行為)と写真の関係について学ぶ中で、リンチの恐ろしさを知った。noteの目的から離れてしまうので、ここでは紹介しないが、この歴史もぜひもっと多くの人に知ってほしい。状況が揃えばこんなにも無情で残酷な行為を人間は喜んで行うこと、また、それが本当に近現代まで大々的に行われ、今でも密かに行われていることを知るのは本当に言葉にならない気持ちになる。

みんなでこの歴史的事実を共有しないといけない。人種差別がどんなにひどくて、有形的に社会に影響するのか、そして今この瞬間も続いていることを認識しないといけない。それを理解すると「でも中にはいい人もいたしさ」なんて呑気なことを言ってはいられないはずだ。

7月24日追記:トランプ政権は、連邦基金(フェデラル・ファンド、つまり米政府からのお金)を受け取っている教育機関がこの年表の様なアメリカ史、そして具体的には「1619プロジェクト」を教えることを禁止しする政策を現在議論・検討している、とベントー先生からお知らせがありました。詳しくはこちら。また、トレバー・ノアがわかりやすく解説している。

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