見出し画像

被害とか、加害とか。

週末、岩登りに行って、その足で登山山岳会の忘年会に参加して、自分たちを「山屋」と誇りを持って呼ぶ人たちとひとしきり笑ってきた。そこで、一人の山屋の先輩がPCをテレビにつないでくれて、ネットフリックスでいろんな山に関するドキュメンタリーとか映画とか見ながら酒を飲み、たらふく食べた。

会話の中で行ってみたい山として「下ノ廊下」っていうのが出て、先輩がさっそく検索した若い男の子2人の下ノ廊下のyoutubeを見ていたら、行程に隧道(トンネル)跡が出てきた。そこが暑くてたまらん、と言いながら進む若者。下ノ廊下そのものが黒部ダムの建設のために人力で開かれたルートなのだが、おそらく地熱で温度が160度にもなるその隧道では「建設時に死者が多数出た」とテロップが出て、思わず「ダムを造りにいって灼熱で蒸されて死ぬなんて、滑落よりやだ」と口から出た。「高熱隧道」と言う呼び名はもう少し後で知る。

一泊した翌日は、大熊町の隣町、富岡町で大熊町民が主催する「広島77年から福島のこれからを問う」というイベントに参加した。
広島と福島。原爆と原発事故。核による被害という共通点。とても個人的でわかりやすい問題意識だけど、私は長崎出身で(長崎市ではない)、平和教育の影響を自覚していて、うちがかつて炭鉱で栄えた島だったというエネルギー政策に翻弄される感じも重ねて、育った長崎と今いる福島を結び付けて考えている。負の歴史を伝えるというダークツーリズム(私は福島のホープツーリズムという言い方が好きじゃない)の視点からも興味深くて、正直、大熊に来てから広島、長崎の本をよく手に取るようになった。福島にきて学ぶ、自分のルーツ。

広島の若者と、広島を彼の案内で視察した大熊のおじさんが、77年後の広島と今の福島、特に大熊の現状を比べながら話す。そこで広島の若者が、被爆地ひろしまの一面としての「軍都として栄えた広島」と言う歴史に触れた。一方で、大熊側にも原発誘致によってもたらされた「恩恵」がある。被害だけを強調するのではなく、忘れちゃいけない歴史、現実の一部。受けた被害の背景として、戦争と原発とともに生きた事実。それを見つめるのは、とても大事だと思うし、受けた被害がなんだったのかをちゃんと伝えるためにも必要不可欠な視点だと思う。

でも。トークの後のグループワークの注意点で「でも」は使うな、と言われたけれど、でも。恩恵と被害をセットにしちゃだめな気がする。

被害は、その地特有のものだ。大熊で何が起きたかはたぶん、町民にしか分からないことがたくさんあって、それを伝えるために見たい、聞きたい、知りたい。でも、恩恵のところって、別に広島や福島に限ったことじゃない。軍都は広島だけじゃない。原発は大熊と双葉の間だけに立ってない。そしてどちらも日本全体で必要としたものだ。長崎の原爆は、当初は別の都市に落とす予定のものだったのだ。たまたま、広島だった、福島だった、長崎だった、とまでは私の知識では言えない。でも、特に被害を受けた側がそれをセットで語ることはとても謙虚で真摯だけれど、被害とその背景までがまるでその土地固有の課題だったかのように伝わることもあるんじゃないか。特に当事者ではない人には。だって、課題は自分の外にあることにした方が楽だもの。

80歳を越えて被ばく体験を語り始めたという広島の90代の女性の言葉で一番伝えたいこととして、若者から共有された内容は「当時の世相に無批判に流されていた」という反省。これも、広島に限ったことじゃない。「広島の反省」じゃないはずだ。この言葉が心に響かないということではもちろんなくて。ということを、発言したけれど、会場ではうまく伝えられなかった。じゃあ、どうするか、という答えは今も私の中になくて、言葉はどうしても堂々巡りに体を巡る。

長崎の私の島は、炭鉱で栄えた島で、戦時中はかなり過酷な強制労働の島だったらしい。そのことを、私は島を出た後の20代にたまたま原爆資料館のそばにある私設資料館で知った。そこは加害の歴史を伝える資料館。平和教育で原爆被害について子どもながらに調べ、体験を聴きながら、島にいたときにそんなことは一つも学ばなかった。それを恥ずかしいと思った。知りたかったと思った。加害があったから原爆の被害が「軽く」なる、というのではない。ただ、長崎で私が学んだ戦争が一面だったことを強く思った。広島の彼も、同じなのかな。聞いてないけど。

答えが出る話じゃなくて、これからも多分考え続けること。土地の被害の背景にあった要因を、土地固有の問題にしないこと。一般化すること。まあ、自分事にすること、か。

その日の夜、布団の中で本を読んでいた。川内有緒さんの「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」。もう寝よう、でもあと1章だけ、と読んだその章にあの「高熱隧道」が出てきた。前日夜見ていて「蒸されて死ぬはやだ」とこぼしたyoutubeでの隧道の映像が浮かんだ。強制労働と強く結びついた建設経過。私が昨日知った場所の、なかったことにしたい歴史の一幕に思いがけない形で触れて、驚いた。いろんなところに、同じようなことは、あるなあ。知らなかった。

忘年会の会場となったおじさまのおうちでは、鶏が毎日卵を産む。年をとって産まなくなったら、小屋から山へ放つ。小屋に戻ろうとしても入れない。それもまた、生活。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?