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私の送ってきた人生の話。

今日、卒業アルバムの写真撮影をサボった。サボったというか、基本が行けていないのでやっぱり行けなかった、が正しいのかもしれない。一昨日、担任から電話で撮影があることを知らされた。その時点では行く気があったし、その次の日にも行く気でいた。前髪が校則違反だからどうしよう、とか、どのくらいのメイクならバレずに可愛く写れるかな、とか、ちゃんとその日の夜までは行く気でいたのだ。しかし通話をしている間に日付が変わり、夜が更け、気がついたら日が昇っていた。時計を見たら朝六時だった。写真撮影は午後からだから四時間目から行くとして、お風呂やメイク、ヘアセットなどの時間を考えたら結局十時には起きなければいけないのにも関わらず、だ。その時ばかりは自分が女の子であることを恨んだし、ロングスリーパーであることを恨んだ。普段十一時間以上寝ている人間が、突然睡眠時間を四時間にして起きられるわけが無いのだ。そうして眠気に抗いながら、自分が行かなくていい理由を探し始めた。仮病ということでは無い。親はとっくに私のことを見放していたし、先生だって見放していた。休むことを連絡する必要さえないのだ。ならばその行かなくていい理由は誰の為に考えていたのかというと、それは自分自身のためだった。自分に言い訳をして、納得する理由をつけて行かない選択を取りたい。それは単純に、そうしないと何だか許されていない気分になってそわそわ落ち着かない気分になってしまうからだ。今回の理由は、二年から転校してきてほば行っていない学校の卒アルなんか私写ってないよ、という理由。実際、そうだと思う。私はありとあらゆる行事を欠席し続けていたから、皆楽しそうな卒業アルバムの中に私は存在しない。集合写真にだけ写っている女の子、なんてホラーでしか見ないんだから。それに、盛れない写真を物体として残しておくのも嫌だった。この時撮影するカメラがTikTokの加工ができるカメラか、sodaのカメラだったならば私は迷うこと無く登校していただろう。
学校に行けなくなり出したのは、小学六年生の時からだった。名門の小学校に受験で入学した私は、小学校には珍しい制服というものが嫌いだった。いや、制服が嫌いだったんじゃない。制服を着ていることで、その学校の顔だと言われ続けているのが嫌になった。あの制服は呪縛だ。着ているだけで頭がいいと思われて、着ているだけで家がお金持ちだと思われて、着ているだけでお淑やかだと思われる。それが嫌なのが、学校に行きたくなくなった最大の理由。先生が苦手だったのも手伝って、段々と学校というもの自体に苦手意識を持ち始めた。
親にそれを相談すれば、案外すんなりと受け入れてくれた。父親も不登校だった時期があるので、共感もあったのかもしれない。無理やり学校に行かされることもなく、行ける日だけ行くようにしていた。それでも辛いものは辛くて、ある日の放課後担任と話し合いをすることになった。今まで抱えていたイメージとの乖離への嫌悪感、学校に対する不満、全てを担任にぶつけた。今思えば大して悪い先生では無かったのに、その頃の私は全員が敵に見えていた。
親からはその学校をやめて近くの小学校に転校する、という選択肢を提示されていた。当時の私はそれを選びたがっていたから、担任にもそう伝えた。担任は必死なまでに引き留めてくれた。そりゃあ、そうだろう。でも私は頑固だから、その引き留めをひとつも聞いていなかった。今日の晩御飯はなんだろう、転校先の学校はどんなところかな、くらいに聞き流していたのだ。
結局私は近所の小学校に転校することになった。教室に入る時、足が震えていたのを覚えている。私は自己紹介というものがその頃からどうにも苦手で、どうにか絞り出したような声で名前だけを言って終わりにしたような、そんな気がする。でもそれからすぐに打ち解けて、六年生の二学期、なんて中途半端な時期だったけれど案外馴染めて友人もできた。小学生には難しすぎる勉強を、追いつく為に塾で必死にしなくていい生活はあまりに楽しかった。レッテルを貼られる制服を着なくていい生活はあまりに幸福で、新鮮だった。自分の好きな服を着ていけるというだけで学校に行くモチベーションは上がったし、何より家から近いのも良かった。前の小学校は電車通学だったから、徒歩で行ける距離に学校があるというのは信じられないくらい楽だ。
そこからは、ほぼ休まずに卒業まで登校ができていた。学校への苦手意識は楽しい小学校生活で消えたように思えた。
でも、中学校に上がってからダメになった。
私の校区の中学校は、何個かの小学校の子達が進学するようになっていた。(どこもそうなのかもしれないけれど)見慣れた顔と見慣れない顔が並ぶ教室で、私はやっぱり自己紹介が下手だった。でも、また同じようにすぐ馴染んだ。オタクの子も何人かいたし、部活にも入ったから。
しかし、事件は起こる。中学一年生、初めての体育祭での事だった。
生理が、始まっていた。
私は馬鹿なので朝からトイレに行っていなかった。そして違和感にさえ気付けなかった。そして極めつけはナプキンを常備していなかったのだ。
気がついたのは閉会式が終わってからだった。
座っていた地面の砂が、赤黒く濡れていた。そこで初めて自分が生理中だったことに気がついた。でもどうしようもない。体操服のズボンは紺色なのに、見たら分かるくらいには血が染みていた。立つことさえ出来ず座り込んでいると、当時仲の良かったギャルがこっちに来た。そして目敏く今の私の状況を把握すると、私の首に手を回して後ろを隠すように立った。とりあえず、周知は免れた。そう思っていた。
次の日学校に行ったら、広まっていた。それも、間違った形で。どこからバレたのか、血で濡れた砂でも見たのか、どうやら男子の間では私が大便を漏らした人間であると広まっているようだった。
そんな訳あるかーっっっっ!!!!!!!!!!!!
と、叫び出したかった。まぁそれをしたところで結局何の解決にもならないのだろう。そもそも中一で淫夢語録を乱用しているような阿呆だ。
そこから、いじめが始まった。
いじめ、と言えどまぁ、そこまでのものじゃない。上靴を捨てられたりとか、そんな劇的な感じのいじめでは無かった。どちらかと言うと弄りに近いような、そんなふうな。
私の隣を通る男子が皆、「くっせ!」と言うようになった。んなわけあるか、こっちは身だしなみに最大限気を使っとるわ。
あとはどこからバレたのか、その時ネットで使っていたハンドルネームで呼ばれるようになった。明らかに、馬鹿にしている。私は今でもその名前を大層気に入っているので、本当に腹立たしかった、し、今でも腹立たしい。別に、大して面白い名前でも無いのに。そりゃあ名前がゲボカスゴリラうんこ太郎とか推しくんの前立腺ペロペロ魔人とかだったらからかわれるのも甘んじて受け入れるだろうが。(私は受け入れられる、というだけでからかっていい理由にはなりません)
そんな感じの軽いいじめと、部活の厳しさと、友人のファッションメンヘラへの苦悩が積み重なっていって、私はついに担任に相談した。
からかわれていて辛い、と話した私に、担任はこう返した。
「アイツらはバカだからどうしようもない。あなたが無視するしか解決方法はない」
何を言っているんだ。我慢の限界が来たから相談していると言うのに。担任というものはそういう問題を解決するのもまた仕事のひとつでは無いのか。今考えても職務怠慢だ。本当に、何をやってるんだあのノッポは。
そういうストレスの積み重ねで、私は学校に行けなくなった。一度家の事情で引越しをして、今の学校に転校もした。だがやはり行く事ができていない。学校というものは嫌なもの、という刷り込みがあまりに強いのかもしれない。
私は今年受験生だが、中学二年生になってからはろくに勉強をしていない。これはまぁ、私の怠慢だ。別に家でだって勉強は出来るのにしてこなかった私が悪い。高校は通信制に行くつもりだ。そこで勉強ができるようになるか、と言えば、確証はない。元々怠け者なので、余計にできなくなるかもしれない。だが、まぁなるようになるだろう。
私は今、精神科への受診を親と検討しているところだ。理由は、ADHDの疑惑がある為。落ち着いていられなかったり、過集中だったり、頭の中が常に騒がしかったり、そういう症状が顕著になってきた為私から申し出た。……絶賛、はぐらかされ中だが。
あまりにもポンコツだから、これに病名がつけば楽になるのになぁとは思っている。自分がただの向上心の無いポンコツな怠け者である事は、まぁ辛い。私は何も出来ないなぁと常日頃から考えている。でも病名がつけば、それは自分のせいではなかったと思えるだろう。そうなればきっと、今の五億倍は楽だ。それにプラスして、もし投薬などができればもっとだ。頭の中が静かになったらどんな感情なんだろうか。ここまで書いておいて、当然ながらまだ受診していないので全然ただの怠け者かもしれないのだが。
もし受診が出来たら、その結果もここに綴ることにする。自分の精神病を明かすのに抵抗がある人は多いと思うが、私は恐らくその限りではない。秘密というものがどうにも苦手で、全部喋りたくなってしまう。口から生まれたみたいな子だね、と言われ続けてきた私なので、名前と顔を知られている人に喋り散らかすよりかはここで言った方がマシだろう、という考えだ。
なんだか長くなってしまったが、このnoteはここで終わりにする。私のつまらない人生の振り返りは、これくらいの長さがちょうどいい。

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