見出し画像

躁鬱(双極性障害)の人向け お金とか労働とか健康とか、漠然とのしかかる時には

双極性障害を患ってから、様々なことについて考えてきました。それぞれの概念を、自分なりに噛み砕いて理解し、優先順位をはっきりさせました。

自分に向けて

お金とは?
働くとは?
健康とは?

などと質問し、自分だけで考えていたら、これまで持っている概念しか出てこないので、他の人の意見を読みました。

この段階では、世間的には少し尖ったり、極端な意見なども参考にしつつ、自分の心が反応するもののエッセンスを取り出す感じです。

例えば「お金のかからない暮らしをする、その方法は…」みたいなのは、大体が自分で野菜を育て、自炊し、自家発電し、空き家を借り、DIYをし、といった感じで、基本的に「自分で作る」です。

じゃあそれを真似しよう!となったら時間がかかり過ぎです。だから人に頼んで、お金を払うのですが、自分で作れれば、もしくは家族、友達で作ってしまえるのなら、お金を払う機会が減るんだな、という事が理解できます。

自分で作れる部分がないか?お金で買うのが当たり前と思っていたものが、時間があれば、案外作れるかも?といった事が見つかるかもしれません。

お金の必要な場面が減らせるなら、獲得しなければならない量が減るので、誰かの労働を減らせる可能性が出てきます。

働くとは?について、わたしは、広い意味で捉えています。そこにお金のやりとりがあるなしに関わらず、相手ができないこと、やってくれたら助かることをする。

特に身近な人に何かをしてあげる時、その“何か”は精度が上がります。

なぜなら、相手のことをよく知っているので、どうしたら喜んでもらえるか?が分かりやすいからです。

例えば、家族でどこか行きたい、となったら調べるのは私の役なんですが、
私だから知っている家族の嗜好や苦手なこと、ストレスを考慮し、

  • 朝早めに出て、昼過ぎには帰ってきたい

  • 子どもが車に酔いやすい

  • 遠すぎない

  • 人が多すぎない

  • 食事は費用抑えめ

  • 子どもは体を動かすのが好き

などのバラバラな情報から、みんなのちょうど良いプランを立てるのはわたしにできることです。

こんなことを身内にしてあげても、お金にはなりませんが、こういうことをしていないと、自分には何ができるのか、実感を持って考えられないような感じがします。

自分が外に働きに出れない時には、働きに出ている人を応援する動きをします。すると“罪悪感”みたいなものが薄れます。

ちょっと横道に逸れますが、以前友達が遊びに来た時に「子どもを寝かしたら、自分が起きてきて、旦那が帰ってきたら、おかずをチンする」と言うので、「えらいね〜」と言ったんです。

そしたら「働かざるもの食うべからずだからさ〜」と。わたしは心理を勉強してきたので、特に思うのですが、それは大切な“働き”です。

疲れて帰ってきて、家族が寝てしまった家で、自分で夕飯を温める。もちろん自分でできるし、相手に求めることではないですが、そうやって迎えてもらえて、話ができたら、嬉しいよね、という話です。

働くことが、お金を稼ぐことだけに限定されてしまうと、働けない状態のときが苦しい時間になってしまいます。

お金を生まない動きの中にも、人と人の関係を支える重要なものがあります。

社会で働く前に、どんどん働いてしまう、という選択肢が加わります。

わたしの中の優先順位は、家族が1番目で、その後に友達、社会、と続きます。
家族に何かして、余力があれば、外側に向けるイメージです。

社会に力を注いで、余ったら家族という順だと、身近な人との人間関係を充実させるのが難しい気がします。

わたしの体感では、お金にはならないけれど、できることをやっていると、体で言うところの基礎体力のように、基礎やる気(適当な言葉です)が上がってきます。

基礎やる気が上がると、基本は近い人に向けつつも、もう少し何かできそう、やりたい、という気持ちが出てきます。

これくらいのタイミングが、体の状態と心の状態がマッチして、無理なく動きやすいのかもしれません。

体が回復しても、気持ちがついていってないと、「やりたいけど、自信がない」「出来なさそう」→やらない、のような感じになりがちだと思います。

つい先日ですが、わたしは“援農”のボランティアへ行ってきました。2.5時間くらいで、収穫や袋詰めなど、農家さんのお手伝いです。

感想は、とても楽しく、他のボランティアさん(シニア世代が多い)も優しい人ばかりで良かったです。野菜のお土産をいただきました。

体調が回復してきたけれど、アポとって一人でいくのは不安という場合も、体調が整っていれば、家族や友達同士で参加もできるので、ボランティアに参加して、人や仕事に慣れるのも、一つの方法ですね。

とりとめもなく書いてしまいましたが、最後に読んで良かった記事を紹介します。孫正義さんの弟さんで、孫泰蔵さんの記事です。

https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/041500053/020600110/

今の社会が自分にとって絶対的なすべてだとは思わないこと。いろんな可能性の中の一つでしかないと認識すること。それを「メタ認知」といいますが、それが重要です。それが出発点になります。

日経BOOKPLUS

自分のいる世界が全てだと思わないこと、様々な情報を集め、周りに相談し、時間をかけて進んでいくのも必要かなと思います。

お金とか労働とか健康とか、漠然とのしかかる時には

生活の中に、自分の役割を持ってそれをこなす。生活をし、それを豊かにするにはどうしたら良いのか?と考えると、自然と自分ができたり、好きな事が見つかるような感じがします。

資格を取ったり、スキルを高めなくては、と新たな荷物を持つ必要ないのかもしれません。

長くなりましたが、今日書いたようなものは、わたしにフィットした考えの一つに過ぎません。こんな人もいるんだな、くらいの感じで読んでいただけたら、幸いです。

読んでいただき、ありがとうございました。


読んでいただき、ありがとうございます サポートはチューリップの球根・野菜の苗の購入に使わせていただきたいと思います。