躁鬱(双極性障害)の人向け 仕事のことで焦りまくってしまうのはなぜ?
社会との繋がりが切れた(と思われる)状態になると、大きな不安を感じる時があると思います。
私自身、何も目の前に問題が起きていないにもかかわらず、焦っている時がありました。
人による、と言ってしまえばそれまでですが、焦りが発生する原因の一つは、病気により既存のレールから外れているのに、頭の中は既存の価値観に占拠されているからだと思います。
既存の価値観とは、広く一般的に“そういうものだ”と認識されるものです。
会社に行けなければならない
お金を稼がなければならない
嫌なことも我慢してやらなければならない
家にいるなら全ての家事をこなすべき
これが一般的かどうか、という疑問はありますが、こういう価値観に囚われていると、自分にとって、ハードな道を選択せざるおえなくなります。
がんばりによってなんとかする、という方向性です。残念ですが、私はがんばりによって状況を好転していけるほど、体にポテンシャルが無いと自覚しています。
ですが、全く焦りはありません。理由は、2つあります。
“諦める”のが上手くなった
少数派の価値観から学んだ
諦めるというより、降参する、といった方が近いかもしれません。出来ないことは出来ない、としっかり諦め、選択肢から外すことで、別の道に気づくことがありました。
少数派の人とは「〇〇な状況なのに幸せそう、楽しそう」のような感じの人で、その人がどんな価値観なのか、想像しながら見たり、読んだりしました。
価値観が変わらない限り、その先で選択する行動を変えるのは難しいと思います。
私が双極性障害を経験しながら、考え方を変えることで、行動の指針が以前とは違ってきました。
仕事選びなら、自分のできることやお給料が条件として上位に上がっていましたが、今は、健康が維持できる、もしくは向上する内容か?が第一です。
お金よりも健康が大事
仕事は対価の発生するものだけをささない
人との繋がりは大事
自分との約束は守ったほうが良い
この辺りは、私の価値観なのですが、最後の自分との約束が、ここでは何を指すかというと、
”過去に症状が出てどん底を引き受けてくれた自分”がいたんです。それはすごく感謝していて、だから今のことは私が引き受けるからね、というニュアンスです。
だから、日々の日課もするし、調子が悪くなりそうだったら早めに休むし、無理な約束はしないなど、意識的に守っています。
そして、稼げるように手を動かしています(稼げていませんが)。
手を動かすって、手で田植えするイメージに思えるんです。一つ一つ植えても必ず収穫できるわけではないけれど、やるしか無いし、やっていると健康にはなる(たぶん)
ダメなのは、いつまでも植え方を調べたり、できるか出来ないか迷っている時。私はこんな時「いいからやれ!」とツッコミを入れています。
お金ではなく、時間を投入できるのは、実はすごくアドバンテージだと思います。
今できる簡単なことを見つけて、手を動かしていれば、焦りはどこかにいってしまいます。やっていないと焦りは増します。私はそんな風に感じます。
読んでいただきありがとうございました。
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