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江戸時代の作り手にできなくて、今できること


前回の投稿の続きです




私は伝統工芸の製作に使われる道具を作っているので、道具が残っていくためには伝統工芸が続いてほしい。
いや、伝統工芸に続いているほしいから道具を作っています。
だから、伝統工芸の存在意義については自分なりの考えを持っています。


↓一応貼ってはおきますが今は飛ばして読み進めてください


でも、伝統工芸の職人さん作家さんが自分の仕事の存在意義を語るって、少しやりにくいかもしれないと思います。だからこそ、職人さん作家さんに生かしていただいている私が、存在意義について持論をネチネチと語るのです。

存在意義は私が語ります。だから、作品・製品を作っている職人さん作家さんには、消費者の人たちに自分の"意志や意図"をしっかり伝えてほしいと思っています。



何を言いたいのかというと…
んんーー
私がこれ以上書くとまた陰気臭くてネチネチした感じになりそう…

そう思って他の方のnoteを検索していたら、ありました。素晴らしい記事が!!まさにこういうことです。是非、読んでいただきたいです。特に3番目の項目です。


コーヒーだって料理だって服だって、「好み」が生まれるモノこそ、意図を伝えるだけで好みの壁を超越してそのモノの魅力やそれをつくった人やブランドの理解が進むはずだと思います。そして、そもそもそういった好みがある仕事だからこそ、その味、そのレシピ、その素材にしている強い信念や思いがあります。思いを持ってやっている仕事だからこそ、その意志を伝えたいなと思います。
上記リンク先から抜粋


この方、他にもとても良い記事を書いていらっしゃる。時間を見つけて少しずつ読んでみたいと思います。この方のコーヒー飲んでみたいなぁ。


話を戻します。

職人さんの中には、細かいことは理解してもらわなくたっていい。素敵だな、使ってみたいなと感じてもらって、手に取っていただけたら嬉しいと言う方もいます。でもそれだと、ある程度知識をもった人にしか手にとってもらえません。

私を含め、漆工芸の技法の詳しい知識がない人は、博物館で江戸時代の漆工品を見て「すごい」とは思うけれど、それ以上の感動や情報を得ることは難しいですよね。でも、今私たちと同時代に生きている職人さん、作家さんからは、情報を得ることができます。難しい技法の説明ではなくても、作り手の込めた思いや考え方から共感や感動を受けることができます。そこから、より深く知るきっかけを持つことができるのです。

江戸時代の職人にはできなくて、今の職人・作家が今の人々に対してできること…それは、より多くの情報量を添えられるということ。モノ自体の情報だけでなく、意図と意思を添えて見てもらうことができるということだと思います。


でもこれって、他のものづくりでは当たり前に行われていることですよね。しかしこれまで伝統工芸では見た目や技術や精度が重視されてきたため、作り手に意図や意思があったとしてもそれを前に出すことはあまりしてきませんでしたし、できない環境だったとも言えます。技術がない人が物語性で付加価値をつけて売っていると思われたくないという作り手としてもプライドも影響していると思います。

私はこの手仕事の世界に魅了され、刷毛を作ることも、漆器を見ることも、使うことも大好きです。でも、漆ならなんでもかんでも良いと思って見ているわけではありません。内心冷ややかに見ることもあるし、ものすごく惹かれることもある。
その違いはどこにあるのかというと、モノ自体の魅力や実用性もですが、そこに込められた作者の意図や意思という面は、やはり大きいです。

この人が作ったものを使って元気をもらいたい。
この人が作る次回作も楽しみだ。
そう思うと漆刷毛づくりにも、料理にも、精が出ます。

私にとって漆器は、自然の恵みとたくさんの知恵が詰まって作られているモノであるという揺るがない土台のうえに、作り手の意思が宿ったものなのです。ふとしたときの、私の気持ちのの支えでもあるのです。

少なくとも私は作り手の声を聞きたい。伝えてほしいと思っています。伝統工芸はそういうものだからという言葉ではなく、その素材を選んだ理由、その形にした理由、その装飾を描いた、あなたの理由を。

問屋さんに卸しているから直接伝えられないよとか、コロナで対面販売できないから無理だよは言い訳にはなりません。こうなふうに、私たちはいろんな伝え方の手段をもっている現代人なんですからね!
少なくとも、知りたい人にだけでも作り手からの想いが伝えられたら、いいんじゃないかなぁ。

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