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ストーリー的な演出がゲームの自由度を制約するとき【3】

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つまらないストーリーにためにゲームルールを変えると、自由度が損なわれるデメリットだけが残る

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長くなってきてしまったので、ここらで結論めいたことを書いてしまいたいと思います。

ストーリー的な演出のためにゲームのルールを変えると、ゲームの自由度を制約する事になります。そしてその制約が不快に感じるのは、そのストーリーを含むゲームプレイ体験が魅力的でない時です。

ゲームとはおおむね「プレイヤーができる行動はコレとコレ(ルール)。その行動によってこういうことができたら成功(ゴール)。うまくいってる時はこんな表示をするし、成功できたらこんな音を鳴らすよ(フィードバック)」といったものです。

「ルール」はプレイヤーの行動を規定するものですが、逆に言えば「ルール」の中で自由に遊ぶのがゲームです。その「ルール」を変えてしまったら、さっきまでできた事ができなくなるわけですから、プレイヤーが自由を制約されたと感じます。

ゲームプレイ体験が魅力的になるなら「ルール」を変えても不快に感じないのでしょうか? 答えはYESなのですが、かなり慎重になる必要があります。というより、「ルールが変わったことに一定の納得度があるならYES」という書き方のほうがよいかもしれません。

自由を奪うなら納得が必要

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前回の記事【2】では、ラスボスに対する攻撃はすべてダメージ0となる仕様を「ルール」を変えた例として書きました。この、いわゆる無敵化について納得度を持たせるとするならどうすべきでしょうか。

このゲームがファンタジーの世界観なら、例えば「ラスボスは強力な魔法で守られているため、どんな攻撃も受けつけない。その魔法の効果を消すことができるのはXXといういにしえの秘宝だけ」という設定はどうでしょう。

設定がありがちなのは置いといて、こうすればラスボスにダメージを与えられないのは「ゲーム都合のルール変更」ではなく世界観に従った魔法の力のためということになり、ある程度の説得力がでます。

またその後の冒険でこのいにしえの秘宝を手に入れ、ラスボス戦で使用すると魔法のシールドが消えダメージを与えられるようになるとなっていれば、説得力はさらに増します。

別の例でもう少し説明したいと思います。

(続く)





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