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心地よさが現れてくる

七草粥の日だけれど七草セットは買わず でも粥は食べたいからまぁーいいやと自己流七草(多分六草だったなあ)でお粥さん炊いてご満足

暮れに買った切り花も暖房部屋だからか大きく大きく開いてくれて今が満開
チューリップは途中首を垂れてしまったけれど 水揚げよくしたら持ち直しくてくれて 垂れてた首が途中からぐぐぐぅーと上がり復活
前の晩には垂れていたのに翌朝S字で上がっている花を見て あー生きてるってすごいなあと感動してみたり



正月二日には近所の飲食店が営業していて 窓を開けた時にその香りが飛び込んできて そうか普段の日常の香りはこんなのもあったのかと気が付く
それもこれもそれらが営業してなくて人通りも少なくて なんだかとっても余計な混ざり気がない日があったからその違いに気付けたわけで 色んな匂いが混ざりっている日常はそれが「日常の匂い」としてなってたんだなーと やっぱり一度無くならないと気が付かないなぁ



初詣はいつもの神社へ
少しだけ並んだけれど前の若い男女はお互いを思いやる会話をしていたし 後ろの男性二人は食べ物の話で盛り上がっていて耳から入る音が雑音にならなくていい年になりそうだなーよかったなぁと思いながら待っていた
ありがたいことに御神籤もご機嫌さんで そこに記されていた『龍が天上に登る時を得たようで』という一文が今年の龍に絡まって嬉しくてふふふとなって 氏神さまありがと~



これからそう移行するから変化に備えなきゃ
ではなくて
もう既にそうなっている みたいです

思っていたよりずーっと速く
思っていたよりナチュラルで
ナチュラル過ぎて気づかないくらい

だから
”今まで”と同じだと思って
それで居たり続けていると気付かなくて
気付かせるための仕掛けが起きてみたり

こうだからまだまだ とか
これがクリア出来たら とか
もう そんなの思っているいとまではなくて
その「思い」こそ
見えなくしているそのものだから
~したら という未来思考も
つまりは過去の変形なので

~したい という意思を確認したら
過去へも未来へも行かず
いま目の前の出来事や
いまココロに湧いてくるものに
焦点を合わせて 耳を傾けて
行動して



年が変わって
感覚も変わった人も多いのではないのかしら

ナニカガチガウ・・・

そんな漠然とした
意味不明な感覚

そこに意味づけしないで
そのままで在らせて
じぃーっとそれを観ていたら

ぴょこっとナニカが
湧いて来るかもしれません

意味も付けられないけれど
理由もよくわからないけれど

でも なんとなく の
そんな感じのもの


今年はそれらが
様々な形を通して指し示してくれたり
覆っているものを気付かせてくれたり

もう 既にそうある なかで
少しずつそれらの気配や香りや
そんなものらを
認識として捉えられるように
知ることが出来るように
動き流れて行くのかもしれません

既に感じ取っている人は
更に深みが増すように
広がりや濃さが増すように
もしくは透明度がますように
より鮮明によりクリアになるのでしょう



そして
そこを生きられるように

ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。