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変化の波と戯れながら piece_vol.61

面白いくらいに古い産物がわちゃわちゃと何かにつけて出てきてる。いや、今までは当たり前だと思ってスルーしてたのが、これもそれも古い観念かいっ!と見方が変わって気付けるようになったのかもしれないけど。
本当に些細なこと。今までは何とも思ってなかったこと。そんな小さなものが、自分の口から発した言葉に自分の中で違和感を覚え「ん?」と一瞬立ち止まる。自分の口から出るまでは気付かない。
「んんん?」となり、よーく観たり感じたりしてみると、「わっ!これ、単なる思い込みじゃん!」となったりで今まで全くそうとは思ってなかった自分に自分が驚く。

ちょっと大きめな自分のクセとか、前々から変たこだわり持ってるなーとか自分で感じてたことは結構見つけやすいのだけど、あまりにも習得しすぎてナチュラルになってしまっているものは、なかなか分からない。

そういった小さな思い癖や無意識レベルまで浸透しちゃっていたものらが、ここへきてピヨピヨと浮上してきてる。特に今月入ってからで、ここ数日はもうモグラ叩きのようにあっちからこっちから顔を出す。
今まで全く気にしてなかった類いのものだったりもするから、見逃すとまた忘れちゃう。その場で立ち止まってすぐ取っ捕まえる。
うーん、と一瞬ジブンに確認し"思い癖"確定したらポイッと捨てる。ま、自分の中で自分に「この思い癖はもう要らん!」と宣言するだけだけど。

ちゃんと自分に認識させるかさせないかは結構ダイジだと思っていて、思い癖だったかと気が付いただけではまた別のパターンで出てくるから、一回ちゃんと自分に「要らん!」と宣言して伝えてる。まあ実際はこれにイメージワーク的なことをやったりしてるけど、もうその古いやり方はやらないと「言葉」にして自分に対して現すのは、思考の上書き的な意味も含めて今はやっている。

どんだけ出てくんねんと思うけど、まあウン十年じわりじわりと染み込ませてきたものだから、これからもずーっとジワジワ出てくるんだろ。でも、自分の見方が変わったり感覚が変わって来たりした事でそういったもう合わないものが浮上してくるのは嬉しい。出てきてくれれば外せるから。思い込みや古い癖が外せればやっぱり軽くなるし、軽くなればまた別の視点が出来たりして楽しくなる。同じ物事でも違う感覚で対することが出来る。

だいだいムカッとしたり何らかのヤな反応が自分の中で出た時は「自分はこういう人」と自分で決めてる自分に反する物事が起きたりした時だなーと最近思っていて。
で、その「自分はこういう人」と自分が決めてるやつは、その場の肩書きによって違ってたりして。職場での「自分」とプライベートでの「自分」とか、親の立場での「自分」や家族の中での「自分」とかまあ人は沢山自分の中に肩書きというか役割を自分で決めちゃってそれになりきろうとしちゃうから、「自分はこういう人」も、その役割分だけある気がする。しかも同じ出来事だったとしても、こっちの自分ではOKでこの時の自分ではNGとか。
そうなってくると、あれ?これこの前ポイした筈なんだけどなーとか思ってもバージョン違いなものが出てきてるから、またポイすることになる。

以前はこの役割によって異なる自分を沢山抱えてたけど、えーいっ!もうメンドクサイ!となり、素の自分でどこでも居られるようになってからはホント楽になった。構える必要がない。
もちろん場により多少の衣はまとうけど。
素の自分が基準になると、役割の時に蓄えてた防御や攻撃的なにかがピョンと出ると、違和感として直ぐ感じられる。素の自分に合わないもんだから反応が分かりやすい。でそれを過去の産物と認定して捨てられる。

もうね、いっぱいいっぱい出てくるから、いちいち「ああ、またこんなものが~」とかやってられない。そんなことで凹んでたら後から後から出てくるから身が持たない。自分を責めたりもしない。だって今までそれがあったから生きてこれたんだもの。それ迄は必要だったから後生大事に抱えてたんだもの。失くしたら大変だって。

ジブンのまん真ん中、自分が静まって安心できるところ。拘りや思い癖なくなっていく毎に、そこにも戻りやすくなり安堵感がひろがる。
だからデッカイ思い癖とか正面切ると「うぎゃーっ!」と一瞬逃げちゃうけど、その後の安堵感がまた広がることの方が楽しみすぎるから、見なかった事にしないでその場で向き合う。
そうやってどんどん余計な鎧が外れて軽くなり楽になり少しずつでも生きてることが楽しくなる。今じゅうぶん楽しくても、もっと楽しくなる。

より良く生きるにはどうしたらいいかとは考えないけど、より心地よいジブンで在りたい。
自分が自分に心地よく在りたい。
誰かのためでなく、ジブンのために心地よく在りたい。


ジブンの心地よさは
周りにも伝わる

ちゃんと伝わる

誰かを何かを変えようとしなくても
ジブンが心地よく在ろうと変われば
それがいつの間にか
周りにも伝わってる

誰かを変えられるというのも
思い上がりであり思い込みであり
その人を変えられるのは
その人だけ

同じように
自分を変えられるのも
自分だけ

全体が変わろうとしている今
その変化から外れる方が難しい

どうせ変わるのなら
変われるのなら

気持ちよく
心地よいほうが
愉しい


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