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その響き合うナニカ

いつも行く神社は七五三の季節なので人出が多く
このところ足が向かなくなっていて
可愛いお子の姿を見るのは楽しいのだけど
今はカメラマンが付いていて撮影の為に
あらゆる手段でお子達のご機嫌とっているその声が
どうしても苦手みたい
それは家族内で一生懸命撮影している人たちも同じで
持ち上げて持ち上げての甲高い声がそこら中に響いて
疲れちゃう 何だろね その周波数が合わないのかな

なもんで少しお久しぶりな神社は
すっかり気配が変わっていて落葉の世界だった



黄色や赤の葉っぱたちが
風に吹かれてくるくると回りながら
楽し気に舞い降りてくる姿は
いつまでも見飽きることがなく
「いーな~ 楽しそうだなあ~」と
しばし見惚れていた

その舞い降りた葉っぱたちで
辺りは黄色の世界に変わっていて
本当にきれい


あれだけワサワサとして
キラキラ輝いていた銀杏たちも
半分以上その衣を落として
軸となる幹や枝が見えてきて



少し前まであの高い樹にあった葉っぱが
今は目の前の足元にあって
それを 落葉 と呼ぶけれど


地面に落ちたその葉っぱは
場所によってはそのまま土まで還って
大地の養分となっていき
それが銀杏の樹の肥やしとなっているのならば
それはまた 銀杏になっている
とも言えるのかもしれない



葉っぱは移動しただけで
さまが変化しただけで
自然の摂理で巡り動いているだけ

その時々の姿に 色々な呼び名を与え
意味を付けて観て楽しみ
そこに好きなストーリーをつけて楽しんでる



それは
銀杏も人間もおんなじ
みんな同じ

自然はそれを分かり易く
現してくれていて
そこには嘘がないから
だからヒトは
自然の中にいると
自分の中の ほんとう と呼応して
安心できるのかもしれない



そう

ちゃんとヒトにも
それぞれのなかに
ほんとう がある

それは それ同士が
共鳴したり 共振したりして
ヒトでも自然でも宇宙でも何でも
そこは同じだから
響き合って それがあるよ と
教えてくれる

そこは
安らぎ 優しさ 和やかさ 静けさ
あたたかさ ゆるやかさ

安心 というセカイ



みんなもともとあるものだから
その 自分の中の安心 で
チャージ出来る

外の誰かや何かでは得られない
そのチャージは
自分のなかで出来るから

そしてそこは
自分のなかだけれど
エゴや自我ではない じぶん

葉が落ちても凛と立っている
銀杏の幹のようなもの
さらに
幹のなかのナニカのようなもの



生かしている そのもの

ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。