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過去で埋めずに いまを流す

自分が生きてきた という思いは
とても強力で

そこには
こんなに頑張ってきた とか
これだけ成長した とか
色んなものが絡まっていて

なかなかどーして
頑なだったりする

生きてきた という時点で
過去なので
要らんもの なのだけど

そこをずーっと当たり前に握りしめているから
時間の継続 から
離れにくい

そう思っちゃうし
そう思いたいのはよーく分かるのだけど

そう 思わせたい のは
自我のハタラキであるということを
ちょいと思い出して



今はなるべくなら
ひとりの時間とか取るようにして
頭を使わない を
意識的に日常に取り入れる方が
ラクかもしれない

ものすごい速さで変化が訪れては去っていき
身体がまだ馴染んでいないうちに
次の処理をしようとしても
疲れちゃうだけだから

自分で何とかしようとしないで
その変化への処理すら
お任せしてしまう

自分には何も出来ません と
降参してしまう

降参やお任せは
何もワルイことでも無気力でもなく
そう感じるのであれば
なぜ自分はそう感じるのか と
自分に聞いてみると
いいかもしれない



確かに自分が生きてきた
だから 今の自分がいる

けれども

それと
いまの自分 とは
別物なんだ

だから

生きてきた自分 に
取っつかまってると

いまの自分 の
無限性が
入ってこれない

生きてきた今までの自分 で
いっぱいいっぱいだから
スペースがない

空けてあげなきゃ

今までの自分 は

必要な時は
勝手に出てくるから大丈夫



どんな無限性と出逢えるのか
楽しみながら

ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。