つまりは ご機嫌さん
夏の始まりがけに買ったガーゼケットが
とてもいい仕事をしてくれている
それまで使っていた薄掛けが役目を果たして
今季は新しいの買わなきゃなーと思っていたら
ひょっこりそれが現れて
大好きなガーゼでしかもお値打ちで
ウホウホと我が家にお迎えしたのだけど
夏は冷房下の中愛用して
今は他のガーゼケットと組み合わせることで
その日の涼しさに合わせて使い分けられている
どうも私はガーゼの肌触りが好きみたいで
服でもタオルでもガーゼだと心地よく
安心する
だからこのところの夜はご機嫌さんで
秋風に吹かれながらガーゼにくるまって
ゴロゴロを楽しんでいる
買うまでは
リネンやら他のも選択肢に入れていて
どれがいいかなあと悩んだりもしてたけど
ポッと現れた時には これだ と分かるようで
でもその時は
これを買うといいというのは分かっているのだけど
という「・・・」が未だ付いていて
その現れ物(流れ)を信用しきれてなかった
自分の中ではもう
これ って決まっているのに
「でもさー」という囁きが
どこからか湧いて来て
それに惑わされ暫く売り場で躊躇してた けど
結局初めのヒラメキを採用して購入した
そして今は ご機嫌さんになっている
日々のこういった ほんの小さな事
ささやかな出来事に見える何気ない事
なのだけど
その時湧いてきたヒラメキや直感や
そんなものらを見逃さずに拾って
対応して行動にする ということが
結構ダイジだったりする
だって
いきなりドーンと大きな事なんて来られても
それこそ困っちゃうじゃない
だから 小さな事 些細な事
そういう何気ない所にあるキッカケを
見過ごさないように 見ないふりしないように
それが日々の練習であり 生活であり
湧いてきたヒラメキや直感やらを
拾うという事は
つまりは
自分のことを大切にする 丁寧に扱う
ということに繋がってきて
それが 自分への信頼へとも紡がれていく
みぃーんな 自分を信頼してないからね
私も含めて。
自分を信頼してないから
外側に頼っちゃう
外側の情報や意見や成り行きや
そういった不確かなものへ
正しさを求めて 救いを求めちゃう
でもそれって
本来じぶんの中にあるもので
じぶんの中にしかないもの だから
外側に幾ら求めたって
どこにも辿り着けない
近すぎて 見つけられない
自分を信頼するっていうのは
自我的自分を信頼するのではなくて
本来もともとある 神聖なるわたし の事で
別に神さまじゃーないのだけれど
誰にでもある本来の存在 存在?
うーん 存在ともちょっと違うけど
まあいいか
感覚で言えば
あったかな部分 ヒカリの部分
純粋で混じり気のないところ
個体としての視点を採用するならば
それぞれの個体という器をとおすことで
それぞれの特性特質が現れて
あたかも「これ(肉体)が私」という
気になっているけれど
それらも これからは緩んでくる
緩んでくるような
それぞれに合った出来事が起きてくる
日々の小さなヒラメキらを拾うというのは
そのガチガチに固まっている
「私はこれ」という概念を
緩ませることにも繋がっていく
誰かに教えを乞わなくてもいいし
むしろ自分にしか分からない
どこかへ行く必要もないし
お金もかからない
資格もいらないし
するための条件すらない
けれど
今の変化変容の流れのなかで
とーっても大切なこと
些細すぎて すぐ忘れちゃうし
いざ対峙しようとすると
思考がワチャワチャ出て来て
時には思考のお誘いに乗っちゃって
後になって気付いたりもするかもだけど
その ヒラメキや直感らを
日々の生活の中で丁寧に拾っていって
それが
日常の 当たり前 くらいになってくると
それはつまり
じぶんのあったかさ を大切にしている
という事でもあって
その あったかさ が拡がることで
どんどん じぶんを信頼できるように
変わって来る
みーんな それぞれの匙加減で
向かい合うようになっている
そして
じぶんを 好きになるように
じぶんが 安心 となるように
そう なっている