雷神さまと地鳴りのダンスで氣かわる
夕方から降り出した雨は雷雨へと変わり 稲妻光と轟音で地が揺れたあと ピシッと空気が変わった
しばらくベランダでそれを味わっていたけれど 私にはこの鳴り響く雷が 祝砲のように聴こえて 空全体で何かを祝い称えているかのようだった
昨日からの体温と同じ気温で辺りにこもっていた熱は お陰で一気に冷めて散らしてくれて 天の采配は相変わらず完璧でありがたいなぁ~とただただ感謝
7月に入って顕著に感じるのが 自分の思うままに思案してやろうとすると ものの見事に上手くいかないという事
この 自分の思うまま と言うのは こうするとより得られるものがあるから という今までの古いやりかたの事で それを無意識でも何でもやってみると笑っちゃうくらい八方塞りのように上手くいかない
けれども 思い付きで同じことをその場その時にやってみると へ?と思うくらいスムーズにしかもプラスαの事が起きる
それがもう本当に分かり易くそうなってくれるから え?と思う位びしゃっと閉じられたら あー思い通りにコントロールしようとしてたんだなと気づくことが出来る
それは今まで自分が そうしてる と思っていなかった側面やホントに些細なものもあぶり出してくれるので あ!これもそうだったのか と目からうろこ状態になる事もある
何たって 自分ではそうしていない と思っていたのだから あまりに当たり前すぎて気付けるはずがない
それらが 持ち続けていた事を責められるわけでもなく ただ淡々とその姿を現してくれて 見つけてしまうと 静かに消えて行く
どうなんだろう
人によってはそれらも
自分を貶めるための材料に
まだしちゃうのかな
”ほらね まだこんなの持っていたよ”
”今までこんなの使って生きて来たのか”
そんなエゴの囁きに
またどこかへ飛ばされちゃっているのかしら
もうそんな事しなくても
大丈夫なのに
「私はまだまだだからそうなの」
そう 思わされているのは 何故なの?
何にとって 誰にとって
まだまだ なの?
今が まだまだ なら
まだまだではないその時は
いつ来るの?
その
未来思考 を ある意味止めないと
いま というトキは
みえてこないかもしれないね
だって
今をみてそう言っているようで
いま を見ようとしてないもんね
そしたら
いま は どこかいっちゃうよね
せっかく目の前にあるのに
まるで いつかのどこか なら
あると思っているのだから
いつまでもその夢の中を探しちゃうよね
誰かや何かが特別に変わった
なんていうものではなく
あなたの 私の 捉え方やみえかたが
変わってきているだけだから
どこかの次元という世界が
地球のように存在するのではなくて
そこに自分が行かなきゃいけない
とかいう訳わからない事ではなくて
今までとまるっきり同じ事が起きても
自分の捉え方が違うから
まるで別の出来事かのように感じるだけで
出来事そのものは変わってないから
だからこそ
その新たなる側面でみれるようになった時
なーんてことでしょう!と
思わず笑っちゃったりして
今までの自分を責めるわけではなく
笑い飛ばしちゃえばいい
おお こんな観方も出来るようになったのか
と 自分をヨシヨシと
ハグして褒めてあげればいい
雷が鳴って雨が降れば
空気が変わるんだよー
ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。