過去がイマ来てイマ向かう piece_vol.88
5月から過去の訪れがポチポチ来ていますが、それは今も続いていて。
先月末に割かし大きなイベントが起こり、一年前からは想像だにしなかった訪れがありました。
それで終わりかと思っていたら。
そこからの繋がりで、また別のイベントが起きようとしています。
正直、私からみたらラスボス的な扱いのものであり、自分の中ではかなり前にクリアにしてきたものでした。
クリアにしてきたからこそ今のわたしがあり、その事でかなり解放されているのですが、どうやらその奥に別のものが隠れていたようです。
隠れていたと言っても以前のようなオドオドしいクルシサをまとっているものではなく、今回現れてきたのは全く別のかたちでした。
すでに自分の中で解放し「そうだったのか」となっていたからこそ、今度は身体を使ってそれと対峙するよう流れてきました。
とても自然なかたちで「あー、そうしたいんだな」とジブンの中から湧いて来たことに、自分で驚くくらいでした。1ヶ月前の私からは考えられないことです。
ものすごい速さで自我が喋りまくります。「でもさ、そうしたらさ、」「今更そんなことしなくてももうクリアになってるでしょ」「その後どうするのさ?」まー、すごいすごい。
けれども、その捲し立てるお喋りをよそに、ジブンの真ん中はスンと澄み静かです。自我の言葉に一瞬のザワつきは感じるものの、巻き込まれることはありません。
念のためジブンの真ん中に何度も確認をしますが、そうしたいようです。
パンドラの箱を目の前にし、コワサともちょっと違う何とも言えないモワッとしたものが薄いベールのように現れています。
そしてそのパンドラの箱は、開けて欲しくてカタコト動いています。なんだかなー。。
解放や手放しと言うものは、過去のヤな記憶や感情、経験からオドオドしく湧いてくるものばかりではなく、ある程度そのクルシサからのお掃除が終わった後は、まったく別のカタチでも湧き上がってくるようです。ものすごくナチュラルに、自然な形で。
もうジブンの中では覚悟を決め、「そうする」と意図を投げ、既にアクションは起こしたので、後は流れに任せるだけです。
どちらに転んでもいいのです。
わたしの中で、その想いが湧いてきたこと自体で、ある種その事についてはもうシマワレテいるのです。
あとは、ジブンがどう在りたいか。
ジブンの本心にどこまで寄り添い飛び込むか。
その目安は、やはり心地よさかなと感じます。
さすがにラスボス扱いしてたものが形が違えどまたポンと飛び出してきて、自我の声と聞き分けにくくなります。しかも自分ではクリアして終わってるものだと思っていたのですから。
今まで何回も自我の声にダマサレて来ています。巧妙にあたかも本心かのように装って囁いてくるものが本来のジブンの声だと勘違いして。
だから、その湧いてきたものに対してどう感じるかを感じます。頭ではなく、感じます。
オソレや何かの得策のためにやろうとしている事なのかそうでないのか。
本心から来るものは、例えその後の事がどうなろうとも、心地よさが感じられます。
"そうすること" 自体がヨロコビだから。結果ではなく、「そうしたい」から。
そしてそう出来たときどう感じるか、を感じたとき、安らぎや安心感が湧いてきます。
そこに自我や思考のオソレが入り込む余地はありません。
予想だにしてなかったことが目の前に現れようとしてますが、何だかとっても嬉しいのです。
じぶんの中からそんなものが湧いてきた事が。
ああ、お掃除してきてよかったなーと感じます。
もしかしたら、このパンドラの箱が開いたことで、さらに奥のものが現れてくるかもしれません。それは分かりません。どこ迄あるのかもわかりません。
でも、ある程度大きなお荷物どかし終わると、その後みえてくるのは、何が出てきてもその手放しをすることで、もっとジブンがクリアになるヨロコビや嬉しさの方が大きいのです。もちろん一瞬の怯みやらはありますが、大層なことには思えなくなります。
生きている以上、色んな出来事は起きるのですから。ただ、深刻さがなくなっていきます。「あー、出たなー」ってな感じで。
いま、今回のわたしのように過去からのお呼び出しで何かと向き合うような事が起きている人が多いかなーと感じます。
もしそうなのであれば。
そのままスルーも出きるし、飛び込むことも出来ます。どちらもアリでどちらもOKです。
ただ、それが自分の根元的なものであれば、いま通り過ぎてもまた違う形で更にパワーアップして現れます。
どこかのタイミングで向き合わなければならないから、ちゃんと流れがそうしてくれるのです。
だから、真剣に自分に向き合おうとするならば、コワサの裏には必ずギフトが隠れていると思い出して欲しいのです。
コワサは単に今までの身に付けてきた習慣です。
そっち行った方がいいってどこかで分かっているんだけど・・ならば、いったんジブンの真ん中戻って、それをすることでじぶんはどう感じるのか?を感じてみてください。頭で考えないで。
ジブンの本心に聴いてみてください。
それでも、無理はしないで。
「やらなければいけない」事などないのだから。
過去からの訪れに対して、コワサやこれを手放さなければというような思いからじぶんが「そうしたい」と感じたのではなく、本当に自然に、周りがどうこうとか一切関係なく、純粋に「いま、こうしたい」というものが湧き上がってきたことに、わたしは今ヨロコビを感じています。
そして、どれだけ鋼鐵のように凝り固まっているものでも、必ず変わることはできるのだと実感します。それも、驚くような早さで驚くような方法で。
もう少し前のような修行的なものや重苦しさは、要らないのかもしれません。それくらい軽くなって来ています。
ただ、どのコースを選ぼうとも、ある意味覚悟のようなもの、「わたしは心からこうしたい」という真剣に自分に向き合うようなことは必要かなぁと感じます。
でないと、いつまでも単にその時の状況を変えたいだけでぐるぐる回ってしまうから。
軽く、軽く、みんながジブンを想い出して行きます。
その連鎖がどんどん拡まって、健やかに豊かに、それぞれの個性を発揮して活き活きとみなが過ごしていたら、どれだけステキでしょう。
でも、それがわたしに観えてるセカイです。
このテントウムシのように。
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