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見えない何かがまとまっていく

緑茶を飲んだ後の茶殻を撒いて
箒で掃いたあとの香りが好きで
ご機嫌さんになっている

毎日飲むわけでもないので
飲んだ時だけ翌日のお楽しみで
茶殻がいい塩梅にゴミと埃をくるんでくれて
爽やかな香りを残してくれるという
このステキなサイクルに
昔の人の知恵はすごいなあーと思い
茶葉は葉っぱだけど
焙煎したりで飲めるようになって
香りも変わって
そういった植物の不思議さに
すごいなーとやっぱり思う

食べてるものすべてが不思議で
すべてがすごいなーと
それを考え始めると
身体に入ってそれがまた変化してとか
もう不思議だらけで止まらなくなる



さまざまが 融合 されようとしているよう
感じます
外のナニカ ではなくて
自分の内側のオハナシです

さまざま 本当にさまざまで
幾重もの過去と呼ばれるものの融合や
今世での散りばめられ置いてきているものの融合

うーん 上手く言えませんが
これから始まるこのために
今までのあれこれがあって
ひとつひとつドミノを置いていたような
そのドミノも地道に全部繋がっているのではなく
どこかでポーンと飛んで
あっちのドミノを倒して柄が浮かび上がるとか
予測不能 奇想天外 思いもよらないもの

その融合が始めるための切り替えのようなものが
急ピッチで行われていて
身体もこころもデータアップデートされてるような
そんな感じでしょうか



人によってタイミングがさまざまだから
どれがいいとかわるいとか
そんなものもないのですが

今回のこの宇宙規模というか
全体性というかそういった変化に
同調すると望んで来ている方々は

ここからが本番というかスタートというか
後になって
ああこのためにそれまでがあったのかと
明確にわかる何かがあるのではないでしょうか

そのために生まれ出て来ているから

そのためにこの
○〇という個性特質をまとって
この世に現れてるから

このお祭りに参加したくて
このお祭りが起こることで
個性特質をまとった肉体で何が起こるのか
経験したくて 体験したくて

このハードな時代をめがけて
生まれ出て来たのだから



負の経験はもう十分で満ちたから
その経験から来る思考をひっくり返して
今度は すべてある という所からの
創造がはじまる(始まっている)

すべてある は
外側まわりのことではなくて
(それも含まれているけれど)
じぶんにはすべてある というもの

そこの視点に向かわせるために
色んな人たちが それぞれの角度から
アプローチして発信してくれている

染みついてしまっている 自己否定クセを
和らげて 解放するために



なんにせよ頼りになるのは
じぶんの真ん中 本来のじぶん で
その感覚に常に立ち戻って聞いて確認して

これからは
じぶんのなか しか
本当の事はわからないし感じられない

まぁ 今までもそうだったのだけど

みんながそうしているから とか
社会がそうだから とか
こうしといた方がよさそうだから とか
そういった外側基準で生きていると
多分どんどんクルシクなって
生きづらくなっていくんじゃないのかな

じぶんのなかの本来の神性というか
そんなものを認める方向に
どんどん流れて行くんだろ

それはつまり
身体を個の自分だと強く思っている
自我とはべつの じぶん



思っているほど
難しいものではないのかもしれません
大変なことではないのかもしれません

これだけ大変な事をしなければ
そうはならない とか
私のような人間がそうは簡単にならない とか

そういったものも
気が付いてなくても表に出ていない
奥の方にある強く絡まったものだったりします

そういったあらゆるすべての
過去の経験や思いは 一旦切り離して

こうなるのかもしれない
こうなる と
意識を変えて向けて観ると

思っていたほど大変なことでなく
するりと変わってしまうかもしれません

アフォメーションとかの類でもなく
もうそのように
変わって来てるのです

だからこそ
自分がいまどこに意識を向けているか
何を創造(意識)しているのか が
これからますますポイントになり
自分宇宙を創っていきます



いつまでそこに居るのですか

声がきこえてきそうです

ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。