気から氣へ
ああ 本当に本気で自分を
ひっくり返す気があるのかどうか
問われてるんだなあーと感じます
本気で変わりたいのか
本気で信じるのか
本気で観たいのか
気 を
氣 に
変える意があるのか
あらゆる人々は
その人なりのタイムベルみたいなのを
備えていて
それが聴こえ始めると
本当はどこかで知っている
向かうべきものへとシフトする
それは
予め設定してきたものなのかも
しれないし
初めから決まっていて
選べないともいえるかもしれない
けれど
それは これを読んでる
自我目線 であって
もう少し引いたところから観れば
それすら含めて
ぜんぶ だから
そこから観れば
自由意志だのそんなものは
疑問にあがる余地がない
だから
ストーリーとして
自分が自分宇宙を楽しむ目線として
この切り替えのタイミングで
奥深くで わかっている という
感覚と
身体システムの慣れ親しんだ
感覚と
それすら
この身体というものありきの
話であって
いままでその古い体質で
やってきたものを
どうやって内面を変えれば
どうやって身体と連携して
そして
気から氣へ変わることで
それを練り上げ変化させ
どう変わるのか
それを
体感として体験できて
現実反映という形で
体現させることができる
この組み込まれているものから
新たな入れ子との
マーブルが
どこまでも混ざることなく
混在している いま
そのスイッチを押すのは
じぶんで わたしで
スイッチの在りかも分かってる
反転への扉は
自分で選べるかのように
思うことができて
それすら
アキラメのひとつ
なのかもしれない
どこまでいっても
自分 にはわからない
けれど
本質のじぶん で
在ろうと意することは
できる
気 から
氣 へ
ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。