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モノガタリは如何ようにでも

ぴぅぴぅと冷たい風が吹き抜ける。
家から見る空は何やら面白い雲が漂う。

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お買い物がてらいつもの神社へ。
何だかとっても優しくてうふふとなる。

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光は小さきものにも

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水辺にも
届いていて

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空を見上げて

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やっぱり今日の雲はオモロイなーと
喜んでみる

それでも少しドンヨリお空で
やっぱり風は冷たいから
今日はこの辺でと引き上げる

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神社出てすぐのお店で買い物したとき、交通系ICカードが無い事に気がつく。
近所のお店も使える店が増えてるので、定期にチャージして便利に使わせて貰っているのだけど、それが見当たらない。

あちゃちゃー。
どこだ? 買い物したのはこの店といつものパン屋さん。取り敢えず数件先のパン屋さんに聞いてみると、そこにはなかった。オーナーさんにもし有ったら取っておいてとお願いして店を出る。

ここらで思考が騒ぎ出す。
"チャージどれくらい残ってたっけ? それよりも定期だよなぁ。今月更新購入したばかりじゃん。ちょっとアタタだなあ。"

一瞬そんな思考に目をくれて「なんだかなー」とは思うけれど、そのまま「どうしよう」と不安のルツボには、はまらなかった。

たぶん私の感覚はフツーと言われるものとはちょっと変わっているんだろ。

ふーむ。あちこちでカバンはごそごそしてないから、あとは神社だなあ。
もう一度おいでーということかしらん?

そんな呑気なこと考えながら再び神社へ。
鳥居をくぐって「すみませーん、探させてくださーい」と誰にでもなく挨拶してから歩いた道順通りにキョロキョロ。
気のせいか周りの樹々の葉の揺れがフフフと笑っているように聴こえる。

キョロキョロしながら歩くのだけれど、さっきよりも青空で、さっきよりもお空が賑やかで、そっちが気になって仕方がない。

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上向いてたら
落ちてるものは見つけにくいのだけど

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どーにもこーにも空が楽しそうで

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美しくて

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素晴らしくて


どーせ焦ったって、落ちてりゃそこから飛んで動くわけでもないのだから。
せっかくもう一回来れてこんな楽しげな景色観れてるのにモッタイナイ!
光と雲は瞬きしてるマに変わっちゃうんだから!
といかにも私らしいものが湧いてきて、すっかり落としたものを探す気はどこかに消え失せ、大空いっぱいに目の前で繰り広げられている自然のショーにウキャキャと歓ぶ。

上を向いてあっちこっちとその場でくるくる動いている私を見て、側を通りかかる人も思わず上を見上げるけれど「?」となって通り過ぎていく。

わはは。すまんね、空しかないです。
特別なものが飛んでたりないです。ごくフツーの、当たり前の、お天気な空です。
でも私にとってはメチャクチャ楽しげな空で、いつまで見てても飽きないくらい、嬉しい事なのです。


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ひとしきり楽しんで満足して
社務所近くに来て探し物を思い出し
届いてないか尋ねてみた。


あった。


びっくりよ、もう。


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結構広い境内で、しかも私はあまり人が通らない所を好んで通っているもんだから、カバンごそごそした所探して社務所に届いてなきゃ、まあ仕方ないかーと思っていた。

後ろにお守り買う方らが並んでいるのに、若い巫女さんは朗らかに対応してくださり、カードケースの特徴伝えたら奥から私のICカードが現れた。

お礼を述べて社務所出る時、別の巫女さんが「お参り下さりありがとうございます」と頭を下げてくれるので、いやいや、ありがとうございますはこちらの方でございます、と私も「ありがとうございました!」とピョコンと頭を下げ外に出る。

あっちゃー、お呼ばれだったな、完全に。
この楽し気な空を見せるためにかしらん?
うーんと思いつつ、フと御神籤おみくじをひかせて貰う。

『もの尽きて又はじまる』
から始まるその御神籤には、いまの私にとって何よりの言葉が綴られていた。

はっ ふぅー。
なんだかなぁー、もう。


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その後の空は更に輝いていて


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もう どうしようもないくらいに

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美しく

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愉しげで

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ごめんなさい!という感じで

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両手をあげるしかなかった



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帰りがけ先程のパン屋さんに立ち寄りICカード見つかったと伝え、見つかったお祝いにとそのICカードでタルトを買ったら、オーナーさんが「昨日焼きのやつだけど」とパンを1つくださった。1回目に買い物に来た時、買うか迷って止めたサンドイッチが作られていたのと同じパンだった。

八百屋さんで買う予定だったブロッコリーが残り数個であららと思っていたら、奥からヒョイと現れたお兄さんがしこたま補充して去り、箱から出したてのピカピカのブロッコリーをカゴの中へ。
レジでは別のお兄さんが、あぶなげな私の様子を察して、手のひらにちゃんと収まるようにゆっくりとお釣りを手渡してくれた。

小一時間で戻る予定で付けっぱなしでいたエアコンのお陰で、結構な時間がたち冷えきった身体を、ほわぁんと暖かさにくるまれてお家が迎えてくれた。


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色んな捉え方があり、色んな視点があり、それにより様々なストーリーを紡ぎ出す、それでいいと思うのです。それが日常だから。

ICカード失くしたことに気が付いて焦ることも出来るし、それまでのウキウキ気分を責めることも出来るし嘆くことも出来ると思うのです。

ただ私は少し切り替えが早いのと、その時出来ることをやってダメなら仕方ないというクセがついているので、今日も一瞬の不安は見つけましたが、そっちにはまっても楽しくないし不安でいたからってカードは出てこないので、取り敢えずやれることやりましょーとなり、やってるうちにお空の賑やかさに楽しくなり、結局お家戻ったら「あー、愉しかった」で終わってしまいました。

たまたま運が良かったと捉える事も出来るし、能天気なヤツと思うことも出来るでしょう。はたまた引き寄せの法則とやらを持ち出す人もいるでしょうし、何かに導かれたんだねと言う人もいるのかもしれません。

何でもいいのです。どうとでもとれるのです。その人好みのストーリーをその場で瞬時に紡ぎ出すのです。それに優劣はありませんし可否もありません。そう思った、というだけです。

不安や焦りは湧きます。
でも、それに巻き込まれるかどうかは、選ぶまでは行かないとしても「いま不安が出てきてる」と見つけることは出来るのです。巻き込まれちゃったなら「巻き込まれてる」と気付くことは出来るのです。
気付くことで、ちょっとだけ離れることが出来るのです。

ちょっとだけ離れることが出来たら、その空いた隙間に、見つけた「楽しさ」が入り込み、いつの間にかさっきまで有ったはずの不安らが消えてしまっているということも多々あるのです。

私がお気楽に空の楽しさにウキャキャとなっていたから気持ちの切り替えができ、その後の展開がステキになった、と言うことも出来るかもしれませんが、何が起こるかなんて分からないのです。
ウキャキャとなっていてもカードは見つからなかったかもしれません。見つかった報告をしたからって、パンを貰えなかったかもしれません。数が少ないからって、目の前でその時野菜の補充されなかったかもしれません。
そんなの誰にも分からないのです。どちらでもいいのです。分からないもん考えても仕方ないのです。

あーだったらどうしよう、
も、
ああだったからこうなったんだ、
も、
どちらも「思い」であり「思考」であり、思考は勝手に湧いてきては消えてゆくものだから、良いと思える思考も思考には変わりないのです。ずーっとその楽しきストーリーの中で巡ることになります。
その自分の紡いでる言葉のストーリーで「生きている」と思っているのが、日常と呼ばれるもので「自分の人生」と 思う ものです。


「思う」ものです。


「思う」のは 思考 であり
思考 は 湧いては消えるものです。

そして

思考 は

ジブンではありません。




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空と 雲と 太陽と

光と 風と 樹と

それをみている私と

ぜんぶ流れていて

このあと なんて わからない


雲の動きは決められないし
太陽が陰るのも止められない

風が吹くのも選べないし
樹がいつそよぐかも分からない

自分がいつまで見てるかさえ
その瞬間は分からない


なーんも分からないけれど

でも

この美しい景色はひろがっていて

動いている

流れてる


そして

自分というものも

その流れとともにいる


なーんもわからんなかで

森羅万象の一部として

動き 変化し
流れてる ということだけは

知っている



だったら

その

流れのままに


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