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世の中的には新年度

今日は新人くん達が帰り際街中や駅に溢れかえっていた。ああそうか、4月1日なんだなと。

毎年の風物詩のように、この日は駅がスーツ姿でにぎやかだ。
緊張から解き放たれた彼らはホームのあちらこちらで数人の固まりになり、連絡先の交換やらに忙しい。はっきり言って、邪魔だけど(笑)。
それにしてもいい加減あのお決まりスーツはどうにかならないのかしら。今はマスクもしてるから、更にみんな同じに見える。この時しか使わんだろーと思われるカッチリ鞄と女子はパンプス。いや、このご時世もういいんじゃないのかなーと思うのだけど。長い研修期間中ずっとあの姿で疲れるだろーに。式典云々と言うのならば、色だけ黒とかに統一してスニーカーとかにしちゃえばいいのに。今はシンプルでカッコいいスニーカー沢山あるから、みんな普通にカジュアルスーツやジャケットだけとかに合わせてスニーカーでお洒落なビジネスマンうんとこさ居るのになあ。スニーカーにリュックでいいじゃんね。いまは「人に会わない」のだから。一年ぶりの光景みて、「なんか古い時代の感覚だよなー」とか思ってみたりした。いや彼らがではなく、それを推奨してる会社というものが、だけど。

数秘術のAZさんライブを観てて、今月(4月)は来月から始まるスタート前の「人生の終活」としてとらえるといいみたいなお話しをされてた。終活と聞くとえっ?とか思ちゃうかもだけど、要は新しいスタートが本格稼働するのが来月からだから、その前に今までの古い自分を終活するつもりで、見直したり新しい自分に合わない考え方を外したりするといいですよーと(かなりザックリ言うと)いうような事だった。
これまでの自分に対する人生の終活。なんかいいなーと思って、妙にしっくりする言葉だった。

自分を変えようとか古いものを捨てようとか言われても、けっこう巷で飛び交ってる言葉なのであまりピンと来ないのだけど、「これまでの自分の終活」と言われると「あ~、片付けたり捨てといたりしといた方がいいもの何かなー」とか湧いてくるし、新しく自分を変化させるということにも自然と意識が行くので「新しい自分はどう在りたいか」にも目が向きやすいんじゃないかな。
別に「私はこういう新しい自分に生まれ変わります!」みたいにチカラ入れるもんでもなくて、人間日々生まれ変わってるし変化してるから、その中でもその時々の自分にもう不要となった物とか考え方とか在り方とか、つい惰性でそのまま生活してるから、こういった言葉でちょっと立ち止まってみて改めて見直し感じてみるのは素敵だなーと思う。

4月に入ったというのになんだかな~とか丁度感じてた時だったから「世の中的には始まってるかもしれませんが、9の月(終わりの数字)なので、まったりしたり静かーになってる人も多いかと」とも言われててちょっとほっとしてみたり。勝手に4月は始まる月だなーと決め込んでたみたいで、先月下旬辺りからのなーんか静かモードが継続して現在進行中なのを安心してみたり。言葉に救われている自分がいて、4月だから動き始めなきゃというこれまた古い遺産を持ち歩いてた自分がいたりして。

数字も言葉も音も、それぞれ全部固有のエネルギーを持っているので、数秘術とかも好きだ。ちゃんと読むべき人が読み解いてくれると、そのエネルギーパワーを届けてくれる。単に生活を良くするためにではなく、そもそもの所をちゃんと踏まえて対峙するにはとても奥深く興味深いものだと思う。奥深く過ぎてどっぷり浸かるにはなーなので、これも大まかな理解だけで後は専門家にお任せだけど。
数字・文字・言葉・音・形・色、これらのエネルギー。興味が尽きない。

そんなこんなで世の中的には新年度で色んなことが始まったりしてるみたいだけど、わたし的には何だかとても静かーなモードがずっと続いてるので、今までの自分の終活と決め込んで、色々見直したり物や思いのお掃除してみようかな。

結構4月はバタつくことが多かったし、会社というものに関わっていると新年度というのが切替みたいなイメージ持っちゃってたから、身体も含めて自分なりのリズムやテンポを見つめ直してみるのも面白いかもしれない。
世間や会社というまわりのリズムではなく、今の自分というもののリズム。
生活を送る上で合わせはするけど同調はしない部分。知らない間にどこで無理して合わせて自分を疲弊させてたか。それは本当に必要なのか。

ふむ。これも古い自分への終活だあね。
いっぱい出てきそうで面白そうだ。

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