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まんなかへ戻る piece_vol.77

ジブンの真ん中へ戻るというのは、終わりがないよなーと感じます。

真ん中を感じられたから終わり。
何か素敵なビジョンがみえたから終わり。
一瞥体験があったから終わり。
ヒーリングやらで綺麗になったから終わり。
もう悟った(目覚めた)から終わり。

そんなもんで終わりが来るものではなく、常に一瞬一瞬本来のジブンの真ん中で在るよう戻る。身体である限り。


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このしきの世界で日常を過ごしているのですから、例えその時どれだけクリアに真中に在れたとしても、何らかの思いや感情らのゴミは日々の生活でたまっていきます。

ネガティブと呼ばれるものだけでなく、自分にとって嬉しいとか楽しいとかの物事に関しても、それに対する思いやこだわりも掴んでしまえば執着にもなり得ますし、「思い」「感情」という観点からはポジティブだろうがネガティブだろうが同じです。


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「思い(思考)」も「感情」も、湧いては消えていくものであり、掴んでおけるものではありません。

「自分の思考」「自分の感情」と思っていますが、自由自在にその思いや感情を出したり無くしたり出来る訳でもなく、自分のものでもありません。

自分のものではないのに頑張って掴んでしまうから滞りになるのですが、今度は「これは自分の思考や感情ではない~。だからワタシは大丈夫~」とそれすら自我(エゴ)は「思い込み」にすり替えて提供してきますのでやっかいだったりします。

思ってる 時点で「思考」です。内容がどんなものであれ。
そしてそれすらまた消えていきます。


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ジブンの真ん中、安心感がひろがり、あったかな安らかなところ。
その感覚は言葉で思うものではありません。

だからこそ、言葉から離れ思いから離れ、そこに戻るのが自分軸と呼ばれるものを安定させることになり、思考から距離を置けるようになることであり。

安定すればするほど、目の前の現象に右往左往することは少なくなり、ジブンの真中から観やすくなり穏やかになります。

やがて「目の前の現象は自分の写し鏡」というものが、理解ではなく感覚として感じるようになります。

頭で理解して「自分の内側を良くすれば幸せな現実が現れる」とか「どうせ現象は妄想なのだから、楽しく過ごせればいい」「この嫌な事は仮想現実なんだから大丈夫」とか、これまた思考から来るものに取っ捕まるのではなく。

人は自分が思ってる以上に「思考の世界」に生きています。
それに気が付けば気が付くほど、真ん中に戻るというのは大切だなーと感じるのです。
生きてる限り「思考」はなくならないのですから。でもそれに巻き込まれにくくはなれるのです。


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外側は仮想現実、創造の世界と理解して。
じゃあどうするか。先程のように「仮想現実・創造世界なのだから自分により良い現象を」となるのもアリですし、それが楽しみで生きておられる方もあるのでしょう。
でもこれは「外側の世界」ありきの自分です。外側を良くするために自分を変える。
「外側を良くしたい」という「思考」です。
もちろんそれがヨロシクナイ訳ではありません。


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別の観方として。
「自分の内面を整え、クリアにしていったら、外側の世界はどのように変わって写し出されるのだろう」とすることも出来ます。

このとき、外側の何かを良くしようとか、何かを得ようとか、そういったものは一切入れずに、純粋に「自分の内側が変わったらどうなるんだろう」というだけのときです。

かろうじて外側への期待を残していますが(笑)、そこまでスパッと割りきれる事は殆どないと思いますのでやんわりと、になります。

それでも長年の身に付いた習慣で色々なものが出てくるでしょうから、見つけたらまた真中に戻って要らんものは放つだけです。

日々の生活でも要らんものは知らずに溜まりますから、やはり終わりなく真中に落ち着き気付きを深めるんだなーと感じます。


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自分の内側を整えクリアにしていき深めていくと、感覚も変わっていきます。

都内も雪が舞い降りました。

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この雪も、子供の頃は単に降ってくることが嬉しく遊び、そのうちただ綺麗だなあと思うようになったり、今は嬉しさや美しさはもちろんですが、音をすべて包み込む感じ、雪が降ることでのエネルギーの変化、自然のことわりの偉大さなども感じます。

これも感覚の変化であり、そういったものを感じられる事が嬉しくなります。
自分の中にそういったものを感じられるものがあったんだ、という発見でありヨロコビです。

感覚が澄み深まることで、視点がひろがり、俯瞰して観れるようになり、ジブンの世界がひろがります。
当然あらわれる目の前の現実も変わってきます。良くしようとしなくても、変わってきます。いつのまにか。


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外側を良くするために内面を正そうとしていないか。
してたのならば、なぜ良くしようと思ったのか。
そこに自分の中の怖さが隠れていないか。


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ジブンの真ん中に
落ち着きゆだねる心地よさ

落ち着きを深めることでの
自分の変化

自分の内面を整えることでの
外側の変化

感覚が澄むことによる
ヨロコビの変化

自分の変化が
ヨロコビとなる
不思議さ


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ヨロコビ

現れている

不可思議さ


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