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観点が変わっていく piece_vol.82

空気感変わり。でもなんだかボヤけていて「これ!」っていうものでもなくなんだかなーと思っていたけど。


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ヒカリが、

かわったんだ。


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ヒカリが、より透明でより澄んで深みが増している。
で、これはたぶん太陽が急に変わったとかどーのではなくて、受け取り側、ニンゲンの方の受信感度感覚の変化かなー。

ヒカリはもとからあるから。
それを「見えなーい」とやってるのはニンゲンのほうですから。

自分視点で見ると「太陽の光が何か変わった」になるけれど、逆。
もとから太陽の光はフルで輝いていて、もとから全てあるのだから。
すべてある のに、フィルターわざわざかけて見えにくくしたり光弱めて見てるのはニンゲンのほうですから。


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それと共に全体のうごめきも始まり感じられて。うーん、すべてのものの存在感が増しているように感じます。1.5割増くらい?(笑)

どのように言葉にすればよいのでしょ。

ああ、より鮮明に感じる、というのが近いかもしれません。視覚的にもそうだけれども、それよりも感覚的にそう感じるほうが強くなっていくのではないのかな。


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違う視点からオハナシすると。

自分の内側でおこる出来事が、何にせよ、より鮮明に感じられるようになっていくということです。そして、そのコントラストの差が大きい。

ひとつ前の記事でお話しした「エネルギー的軸(融合、中庸、ゼロ)」にぜんたいはもう変わってますから、その流れと相反するものは自分のなかで違和感として現れます。
より鮮明に感じられるようになってきているから、だんだん見逃せづらくなってくるわけです(笑)。今まで見なかったことに出来てた部分が、そう出来なくなってくるような。それでも見なかったことにしようとガンバると、固持する力が今までよりも強くハタラキますから、ますますクルシクなっていくんじゃないのかなーと感じます。振り幅も大きいですから。

流れが、本来のジブンに戻るようになっています。(前からですけどね)

ちょーっと「うーむ。。」なのが、物凄く鮮明さがよくなってる分、少し"圧迫感"てきなものが混じるかな~みたいな。一瞬ひるむ。一瞬後退りする、ような感じ。


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マイナスっぽいことを先に出しましたが。

もちろん逆ありきなんです。
嬉しさ、暖かさ、楽しさ、そういった物事もより鮮明に感じられるようになっていきます。

どんなものごとも、より鮮やかに。
起きてる出来事は中立ですから、どんなものもより鮮やかに。
その「出来事」には、自分というものも、思考も感覚も入りますから、みな、より鮮やかに。


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クルシミの中で感じたものと、ヨロコビに転じたときに感じるもの、その感覚の差に驚くかもしれません。

ジブンの真ん中で感じられる安心感もパワーアップです。
あーやっぱりココがいいなあと、よりいっそう感じられるかもしれません。


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より個性が際立っていくんだよ

いうこともあるようです。

より個性が際立つということは
より本来のジブンへの信頼が深まっていく
ということでもあるようで。

よりお互いの個性を
認め合えるように
なるようです。


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恐れの視点から
安心の視点への
転換です

恐れありきの在り方
から
安心ありきの在り方
への転換です


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思考を脇に置いて
頭で考えようとせず
ハートの感覚に落ち着くと

そこは
安心感や
安らぎです

その
安心や安らぎの中から
ものを見
ものを感じるとき

頭でこねくりまわして
つくられた世界とは
別のものが
みえてきます

これまでの
"恐れや不安"があるから
どうにかして良くしよう
という
「ないから求める」から

"安心や安らぎ"が
ベースとなり
「すべてすでにある」
への転換です

安心 安らぎ
リラックス ほっこりした感じ
それらがあたりまえで
そこからの視点観点へ
変わっていきます

ぜんたいの流れが
そう
変わっています

ぜんたいですから
そこから
誰も
もれることはありません

ありえません


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そもそも
誰かという個別の人は
ありません

さまざまな個性とも呼べる
エネルギーがあり
ぜんたいが流れ
自分がいるかのように
感じさせてくれています

自分がいるように
感じられてるから
この地球で
それぞれの個性を現して
楽しめます

みな
ヒカリのつぶつぶです


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ああ、本格的に始まったんだなーと感じます。
アンテナ鋭い人は、理由ないモヤモヤや不安感を感じていたかもしれません。
今まで自分というものを誤魔化せてきたものが明らかになっていくという事を、どこかしらで感じ取っていたのだろうと思います。

よくわからない
という不安感。

これは自我意識であって、本来のジブンではありません。
よくわからない。分かってなければいけない。自分を守らなければいけない。

すべてはうつろい流れています。
「わかっている」事なんて、何ひとつありません。今までも分かっていた事なんて、ありません。

自分はコントロール出来るという勘違い。
「自分が」生きているという勘違い。
過去と未来があり時間という経過のなかで生きているという勘違い。
それらの勘違いから、不安や恐れをつくりだしクルシミという中にポチャンと入ります。


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いま に在って
いま 安らぎにあるとき

なんの過不足もなく
みちたりていて

それ以上でもなく
それ以下でもなく

そもそも比較がなく
ジャッジがなく


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すべてがある

から

はじまるセカイ


外側世界ではありません
ウチガワセカイです


はじまります

はじまっています


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