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トキ の ハザマ

すごい時代に生まれて来てるなぁーと感じます。すごい時代。

節目というか移り変わりの狭間と言うか。
トキが流れているという視点から観るとき、どの時代の流れも色んな事があってきたとは思うのです。
でも、今のこの変化というのはまたちょっと違う気がします。
これまでは1つの同じ流れの中での変化であり移り変わりのようなものですが、いま起きている変化は、流れそのものが変わった上での変化。根本が変わったとでも言いましょうか。

見た目現象にはそう極端に変わったようには見えないかもしれないけれど、そこは物質世界、反映のタイムラグと定着から軌道に乗るまではまだもう少し先の話になるのかもしれません。

ただこれだけ変化のスピードが速いと、もしかして生きてる間に眼にすることが出来るんじゃないのかしらんと、そんな期待もしてみたりして。どのくらいまで感じられるのかなぁ。

どちらにせよ、こんな滅多にない時代に生まれ出てきた事が嬉しいですし、ある見方をすれば「それを選んで生まれてきた」となるのかもしれませんが、もしそうなのであれば、そりゃそーだよねぇ~、こんな瞬間的狭間のトキ、体験できるならしてみたいよねぇ~と、この時代を目指して生まれ翔んで来た自分を誉めてあげたい(笑)。

別にオカルト的とかスピだとか予言だとかそんなものではありません。
よーくよーく観れば解ることです。感じられることです。

もう、時代は変わっています。
流れは変わっています。 明らかに。



いつまでも「いままで」に縛られてなくてもいいみたいです。

瞬間 瞬間を生きる。

その時々の自分を生きる。
鮮やかに。

それこそ、さっきまでの自分と、今の自分はもう別人です、くらいの勢いで。

真理は変わりません。
変わりようがありません。

でも、いつまでも「そこ」を目指していても「そこ」には辿り着かないのだから、「いま」を逃しているのはモッタイナイです。

「教え」だけを、知識だけを一生懸命集めて、何とか「解ろう」としても、「これが真実ですよー、だから大丈夫ですよー」と聞いても、この「身体」を通さない限り何も変わりません。

見聞きしたものを、「そうなんだ」と、身体を使ってやってみなければ、1㎜も変わりません。

少し前に眼にした文書に、なんだか凄い違和感をおぼえて。書かれてる事はごもっともな事だし、真実から外れてはいないのだけど、どーにもこーにも感じる違和感。モヤ感。
何だろなーと思っていたら、どうやら「知識を集めた言葉」の文章だったみたいで、そこに書かれている方の実態としてのものが何も感じ取れなかったからみたいでした。
でも、言葉としてはそれで救われる人もいるでしょうし、今はそれでいいのだと思います。

少し前まではそれでよくて、それが主流で。
でももう流れが変わってしまったいま、そういった「知識の寄せ集め」のようなものは、こらからは見抜かれて行くのだろうと感じます。

べつの言い方をすれば
「その人の言葉でないものは、伝わらないし見抜かれる」。

頭だけの時代は終わっている とも言えるかもしれません。

まあー何だかんだ言っても、単にいまの私はその人のオリジナリティが感じられるものが好みで、精神的な事に関してもその人の実体験通されてる言葉の方がピンと来ると言うだけの事であって、そういった現れとは合わなくなってきてるんだなーと改めて感じただけであり。
それはそれで全くアリですし「ああ、こんな感じで合わないという感覚が気付けるのね」と気付けた次第でした。文書そのものはとっても真っ当だっただけに、「何でこれに引っ掛かってるんだ?」という自分の違和感の出所に「?」となった驚きの方が大きかったのかもしれません。たぶん少し前なら「ほぉーお」と読んで納得してた筈で、それくらい今は細かな「合わなさ」まで反応するんだなーと。
これは私だからではなくて、多くの人もそんな感じになっているのだろうなーと。



本日も東京は真夏日和で、クーラーかけようと窓を閉めると外からの音に距離ができ、部屋の空聞感って変わるんだなぁとか感じてみたり。

朝散歩も昨日より早く出たのですが、すべてがまだ微睡まどろんでるところから、陽が上がるにつれゆっくりと目覚め始めるそのさまの美しさと、太陽ってすごいんだなーという感嘆の思いと。

見事なまでに陽の動きとともに 休→動 へ変わっていって。植物はもちろん、辺りにある物もすべてが。


初めての道通ったら
スカイツリーが見えちゃったりして


いつも通らない道で新しい景色観れたりして喜んで。
帰りはいつもの神社さん寄り、いつも回る順路は同じなのですが「今日は逆から」と飛んでくる。「ほ?」と思いつつ逆からまったり静かな境内散策楽しんで、さてそろそろ帰ろうかなと歩き始めたら小池で立ち止まった時に本殿上からちょうど顔に朝陽が差し込んでくれて。

いつもの順路だったら正面からは浴びれなかった朝陽。毎度の事ながらガイドさん達ありがとう~と感謝。ワケわかんなくてもそうなってるらしいから、取りあえず「そうなの?」とそうしてみると、ちゃんとその時のベストに導いてくれる。美しいものに出会わせてくれる。

柔らかな光はビヨーンとのびて
そこらじゅうが光だらけ


私はたまたま言葉でキャッチするけど、直感とか「何となくそう感じる」とか、誰でもみんなそう思ってないだけで普通にやってるし元々装備されてるもの。
チャネリングとか聞くとアヤシゲに感じるかもだけどそんな「名前」が付いちゃってるだけで、実はみんなフツーにやっているから全然特別でも何でもない。チャネラーさんとかはその感度が人より高いだけで、気付いてないだけで誰でもみーんな自分のなかではチャネリングなんて出来てる。

ここら辺の感覚というか捉え方もこれから変わってくると感じていて、そのうちチャネリング・リーディングとかも人にある当たり前の能力として認識されるだろうし、眼が見えて、視力は人さまざまだよねーっていうのと同じ感覚の当たり前さになるんじゃないのかな。

そうやってみんな誰に頼らずともジブンのガイドさん達と繋がって導かれながら楽しんで行ける世界。



トキの挟まのような
そんな いま にあって

色んな経験して
色んなもの味わって

みんな同じところへ
戻っていく

夢であり 幻であり
リアルであり 摂理であり

なんとも なんともな
摩訶不思議が

いまも いまを
楽しんでいる


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