見出し画像

雨が駆け寄るように流れるままに

久しぶりに雨が ”駆け寄って来る” 音を聞いた。
台風の影響でいつ降り出してもおかしくない天候。窓開けて目を閉じてゴロゴロしていたら、遠くから向かってくるアノ音が。ホンの数秒の世界。
ん?と思った数秒後には大きな音と共にスコールのような雨が降り始めた。

雨が降る前には風も変わる。これも瞬間のもの。
この時も窓開けていて急に風のニオイ(のようなもの)が変わったから、あ、来るなと洗濯物をしまっていると降り始めた。



よく雪国の人が雪が降る前に分かると言うけれど、雨も雨の匂いがする。それが雨の匂いかどうかは分からないけれど。
きっとみんなそうなんだと思う。ちゃんとその前には何かしらの合図がある。我々人間が日常というものに忙しすぎて、その自然からの合図をキャッチ出来なくなってしまっているだけなのではないのかしら。元々備わっている本能的なもの。
AIは便利。どれ位の台風がどの様に来るだろうと予想してくれるし、それが今まででどれくらいの規模かも数字で教えてくれる。
けれど、AIが出来るのは過去の参照。
「今」の風の匂いは感じてくれない。 「今」の遠くの雨音は感じ取ってくれない。

ニンゲンは いま を 感じ取ることが出来るのだから。



例えば車を運転していて
右折や左折をする時一旦止まるように

流れが変わるときは
一旦静かになるのかもしれません

次への変化の前に
シンと静まるいっとき

その 静まり があることで

前からの惰性で動いてしまったり
ぶんっと振り回されてしまったり
突然の場面替えに驚いてしまったり

そんな事らのふり幅が少なく済んで
スムーズに流れるのかもしれません

その静かないっときは
人によりさまざまで
1日かもしれないし1年かもしれません

でもそれらは

何も起きていない のではなくて

何も起きていない が
起きているのであって

そこをあれこれ心配するのが
自我さんのお役目ですが

起きてるもんは起きてるので
それは 自分 や 自我さん には
伺い知れることではありません



変化 は
自分 というものが
どーこーできるものでは
ありません

自分 ができる(ように思える)のは

その変化を
どのように受け取るか
どの角度からとらえるか
どの視座から観るか

くらいなもんです

その 変化 を
どうストーリーづけるのか



どうせなら
どのストーリーでも
心地よさでも そうでなくても

その瞬間はそれがベスト

感じられるわたしで
ありたいなーと

そう 心から

ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。