そのものであるかた
電車で座っていつものように目を閉じていた。
どこかの駅で電車が止まり、人の乗り降りの気配がする。
となりに誰か座ったなあと思ったら、ふいに身体が軽くなる。
ん?
目を開けたら、となりには白杖を持った中学生らしき小柄な女の子が座っていて、その前にはサポートらしき女性が立っていた。
通学の練習かな。
女の子は、小さな小さな声で何か歌っていた。ハミングかもしれない。電車の音で聴こえなくなるくらいとっても小さな声で。
平日はほぼ毎日電車に乗る。
隣や近くに来た人からズンという重いものを感じることは多々あり、そんな時は場所を移動したりするのはよくある。
でもその反対に軽く感じることは殆どない。
赤ちゃんや歩き始める前くらいの幼子くん達はもちろん軽いけど、彼らそのものからと言うよりも、彼ら自身の満ちたまっさらのエネルギーに(見たりして)触れることでこちら側の固くなっていた部分がゆるむ感じ。
ちょっとその感覚とは違っていて
隣に座ってくれたその女の子は
その子自身がものすごく軽くて
その時電車に乗っていることを楽しんでて
お歌もこぼれていて
なんの心配もなく
ただ その時 を
楽しんでいた
隣に誰が座っているんだろうとか
静かにしてなきゃいけないとか
大丈夫だろうかとか
そういった
不安 と呼ばれるものが
一切なく
とても とても
そのまんまの姿で
たまたま隣に居た私を
瞬時にまるっと軽くさせてしまうくらい
純粋だった
忘れてたナニカを
思い出させてもらった
そうなのよね
私は電車に乗るときとかはブロックする方ばかりに気を取られていて。普段使いの路線が外の景色が見えない地下鉄というのもあるのかもしれないけど。
自分を 守る 事で精一杯で
空っぽ で居ることは出来ても
楽しむ 事はたぶんしてなかった
空っぽ でいることで、少なくても 嫌な気 をまわりに飛ばすことはないからそうしてたのだけど。まあそれくらいびゅんびゅん色んなもの飛んでるから、仕方ないっちゃーそうなのだけど。
でも
空っぽでいることと
楽しんでいることは
違うんだよなー
どんなに周りから見てアホな事していても、本人が心からそれを楽しんでやっているとその時のパワーというのはすごくて、その周りの空気も軽くしてしまう。
本当に瞬時にその場をゆるませてしまう、ものすごいパワーがある。
それがたった一人だったとしても
電車の中という閉鎖的な所で、ましてや私が自分を守る事が当たり前となっていた空間だったから尚更感じたのかもしれないけど。
でもそれって
本当は
場所や時間とか
そんなもの関係ないんだよなー
自分自身がどう在れてるか
だから
それは
周りは関係なくて
自分のナカのこと
コホンと咳きひとつしても周りから視線が飛んでくるご時世だけど、電車の中とはいえ自分を守ることに気がいってれば、そりゃー「自分を守るための正しさ」でいる人が周りに現れるのは当然だわなー。そういう人が目に入ってくるからまた自分も守ろうとする。
公共の多数の人が居る場で能天気にいろというのではなくて、「自分を守る」ことばかりに気を取られなくても他のやり方はあるよね。
電車の中とか
どこの場所だから環境だからとか
そんなもの関係なく
その瞬間瞬間
自分の在り方が
自分も含めた
その場の空気を創り出している
その影響を一番受けているのは
ジブン
二駅くらいの短い時間だったけれど、その女の子のお陰でとても楽しかった。色んなこと思い出させてもらった。
なによりも
一切なにも含まず介さない
そのもの
で在ることのパワーをステキさを
感じさせてもらった
ものすごくありがたく
嬉しかった
私もあなたのように在りたい
それを思い出させてくれて
本当にありがとう
さて
またこの瞬間の
ジブンを
愉しもう
ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。