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魚座満月前の休日日和

もしも神サマというものがいるとしたら。
ものすごく神聖とか偉いとか神々しいとかおごそかとかそんな感じではなく、もっとオチャメでユーモアいっぱいなんじゃなかろーかと私は思う。

神サマといってもそれは頭の中で繰り広げられる言葉からのイメージであり、人それぞれ。キリストを思い描く人もいるだろうし日本の神様を思う人もいるだろうし、外国の方であれば信仰してる宗教の神様になるのかもしれない。

私にとっての神サマはここでもよく使う"全体"とか"大いなるもの"とか"根源"とか"すべて"とか。あらゆるものを含んでいるそれが神サマであり、愛とよんでもいいかもしれない。
日本で昔からある「八百万やおろずの神」という考え方は好きだし、植物鉱物やトイレとか(笑)色んな所に各々の神サマがいるなんて素敵じゃないかーと楽しくなる。
あらゆるものを含んでいるので、当然その中には自分も入っており。そして神サマを思い描けるのは自分の頭のなか。

ん?頭の中で思い描いているものに自分も含まれてる?

そういった視点でみると、自分も神サマになる。だって全部が神サマなら、自分だけ含まれないなんてありえないでしょ。
自分と誰それとか自分とコレとか、別けて考えるとあっちの神サマこっちの神サマと神サマが沢山出来ちゃって、その中の自分も神サマとなるけど、そうじゃなくて、全体の大いなる流れのようなものを神サマととらえたら、自分が神サマであるのも、何となく違和感なく感じられるようになる。流れの一部だから。


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いいお天気。
「来い、来ぉーい!」と呼ばれてお散歩がてらいつもの神社へ。呼ばれる前から今日は行きたいなーと思っていて。そこへお呼びが飛んできたけど、呼ばれたときは私がその場へ行って直接体感したほうがいいぞーって時で、その時の私にとって何かしらヨサゲなとき。それこそあまりに出掛けなさすぎて歩くのが必要な時だったりも。後から思えば「ああ、歩かせるためだったのか」となったりする。私にとってヨロシクナイ事では絶対呼ばれたりとかいうこの感覚は起きない。逆に「ん?」とか不安とか何かしらの違和感感じた時は、一旦立ち止まってよく観ると、思考がたくみによそおってたりするので「あー、自分で考えてたか」とその思い癖をポイしてサヨナラする。

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今日はどこもかしこも充ち充ちていてパンパンで。もう、弾ける寸前の待ちきれないご様子。ぶぅわぁーっと一気に花開く直前みたいなそんな感じ。クラッカーを鳴らす紐を持って今か今かと待ち望んでるかのようなそんな喜びを漂わせながらも、静かに微笑ほほえみ辺りをくるんでる。
あー、この感覚初めてだ。これを体感させたかったのね。そーね、私何かにパンパンに期待するとか、抑えきれない喜びを持つとかあまりないからね。あはは。
せっかく呼んでくれたんだ。全身で味わおう。
少し人気ひとけから離れた木陰こかげで、身体の感覚をゆるめ、開く。

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あらスゴイのねー。大地からぶぅおーっと歓喜がふくれ上がってわき上がってる。土台はしっかり横と繋がり不動であり、その奥深くからもうなんとも言えない、喜び・歓喜・安心・幸福感・モロモロそういった感じのものが火山の噴火待ちマグマのように波打って上がってきている。・・例えがワルイね。ま、いっか。
それは足元がらものすごい喜びの振動として上がってきていて、一種の武者震むしゃぶるいのような。
胸のハートあたりでピークとなり、ハートが全開になるのを抑えてるようなそんな感じ。ん?まだ全開を抑えてるのか?そっか。
上からもなんか色々来てるから、それらが相入あいいり交じって心地よいことこの上ない。
すごいなー、このハートが開かれる感じ。閉じようとしても駄々ダダもれ(笑)。なんじゃこりゃ。

歓喜が樹木の葉先までもうバンバンに行き渡っていて、弾け待ちなのを楽しみながらワッサワッサと枝葉を揺らしてる。
何が起きるんだろうねえ。楽しみだね。

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お陽さまももう輝きっぱなし。ブンブン光を飛ばしてくれてる。

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脇路わきみちに入ってしばし休憩。
気持ちいいなーとボケーっとしてたら、今日はなんだか沢山とんできた。
私個人というよりも全体に対してだなーと感じたから、そのまんまお伝え。言い回しがフルイのは、私がそこの神社の神様的エネルギーにそういったイメージ持ってるからで、私を通して言葉にするからそうなっちゃうのね。


『うん、始まるのぉ。始まってるのぉ。感謝だのぉ。喜びだのぉ。
恐れることは何もないよ。焦る必要も何もないよ。
ただただ受け止めなさい。流されるのとは違うぞ。受け止め認めた上でただようのじゃ。
風が運んでくれろう。水が流してくれろう。なーんも心配せんで、そのゆだねる感じを楽しんでみんしゃい。
葉が綺麗だろう。陽が暖かいだろう。みな安らいどるだろう。それを感じる時そなたのナカも安らかだろう。風が吹いても心地ここちかろう。穏やかだろう。その広がりはそなたのナカに在ろう。見とるけれどそなたのナカであろう。
楽しみなされ。笑いなされ。喜びなされ。受け取りなされ。流しなされ。
楽しいのおー』


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自然の中にいて感じる心地よさ。雄大さ。
「心地よいなー」とか「綺麗だなー」とかそういった"言葉"が頭に現れる一瞬前のスキマ。トンネルから出た時に目の前に圧巻の景色が現れた時の「 !!」というあの感じ。その感じの瞬間、ヒトはその景色そのものになってる。コトバのらないはいれない世界。
本来いつもヒトはそうなんだけど。言葉がものすごい速業はやわざで頭を占領するもんだから、そっちに気を取られて忘れちゃう。

だからよく言うリラックスや身体をゆるめるとか。そうやって頭のなかの言葉が落ち着くと、自然や周りのモノゴトその感覚が感じられるようになる。
本来のジブンというものも、例えがちょっと違うけど自然に近しいものだから、頭のなかが静かになればなるほど、そのジブンという感覚も分かりやすくなる。
いつも何かやろうと頑張ってるわかつ自分じゃなくて、本来のジブンね。安心の中にあるジブン。

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明日(21日)は魚座満月。12星座のひとつのサイクルが終わる。そして23日は秋分。昼と夜が半々に近付く日。ほぼ真ん中。
ジブンの中心も省みやすいとき。省みるよう全体が流れているとき。

(秋分を通って)地球のサイクルも(昼夜の長さが)変わりますよ。自然の一部であるあなたのサイクルもかわりますよ。あなたの真ん中、ちゃんと観て下さいね。と自然が呼びかける。

単なる祝日のひとつと思うのもヨシ。
季節の巡りを感じるのもヨシ。
ジブンを省みる機会ととらえるのもヨシ。
なんでもアリ。

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もしも神サマがいるのだとしたら。

全体であらゆるものである神サマは、自分を苦しめる事をするだろうか。苦しみしかないものを現すだろうか。

全体であらゆるものが神サマの一部である自分という神サマは、自分を苦しめるだけに苦しみというものを現そうとするだろうか。

対極があるこの世界。
片方だけしか現れないなんてことあるのだろうか。

その 苦しみ は
どんなつい
現してくれるのだろう

なにが
ひっくり返るのだろう



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