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季節が変わるように

今月後半からずーっと天体的節目が続いていて何だか騒がしいのですが、これだけギュウギュウだと一体どんな風に自分の感覚が変わるんだろうと結構楽しみにしていたりして。

まー眠いのは仕方ないですね。ひたすら眠い。隙あらば眠ろうとしている(笑)。身体からも”眠り”を要求されている。とにかく寝ろと。
寝てる間に身体への馴らしとデータアップロードやダウンロードされているのはまあそうなんでしょうが、ここ暫くなかった起きてる間のDL感もあったりするので「ほ~ぉ」となってます。


身の回りでは、アクセスしなくてもいい所には増々繋がりにくくなってきてるなーと。ちょっと以前の感覚で「連絡しておいたほうがいいかな」位の感覚で連絡しても、結局はうまい塩梅で繋がらないとか会えないとかになり、ああ本当に別れて行ってるなあと改めて感じたりしています。

ある意味上手く行かないとか繋がらないとかがあった時が一番わかりやすいので、「ん? いま何にこだわってる?」と一瞬立ち留まり、自分に尋ねたりしてます。
タイミングが合うと、今まで見えてなかった隠れモノがポーンと飛び出して来てくれて「あ~、そんなん思ってたのか」と気づきがやってきたりします。ありがたい事です。



自分の中にあったこだわりもスルスルと自然にどんどん流れて行ってしまっているようで、以前ならもう少し「何でだろう」とかつかまってたものが、「そうなのか。そうなのね」とその場でスルーっともう流れてしまい忘れてしまいます。
ただしこれは一旦「そうなのか」と納得(受け入れ)しないと、少し後にまたヒョッコリ出て来たりするようです。



それでも前に比べればこの手放しの楽さといったら!
悩む必要も修行も必要ありません。ちゃんと受け止めて認めるだけです。
修行好きの人(私もそうですが)からしたらあまりにあっけなくていいのかしらん?と思ってしまいそうですが、それが今の軽い時代のようです。
逆に「以前のようにやらなければ手放せない」とか思って頑張っちゃうと、重すぎて流れが滞るかもしれません。

「以前こうやったら出来たから」「こうやったら上手くいったから」も、ある意味足かせになるようです。
その時その時の感覚が一番ベストで、過去のデータはどんどん古いやり方に変わって行きます。


過去は過去で
いま の自分とはベツモノです

その時はそれがベストだった
かもしれませんが
いま の自分は
そこからアップグレードされているので
その時の方法が合わなくなっているかもしれません

だから
その時その瞬間 の 自分の感覚 が
一番のナビゲートです



極端な話 例えば
ちょっとした小さな気付きがあったとして
その前の自分 と その後の自分 は
まるっきりベツモノです ので
違う次元にいるようなもんです

そこへ
身体の習慣として以前のやり方を反復してきますから
ズレが違和感として出てきます

天体の節目やら何やらで
見えないものがダーッと変わって来てますから
見えるもの(身体)も調整が必要です

今はそんなものらが
繰り返されているようです

一般的には「季節の変わり目」というような
表現になるのかもしれません



それらも全部ひっくるめて
天の采配 大いなる流れ は
完璧で
自我意識があれこれ出来る範囲では
ありません

本来のじぶん の方へ意識を向け
流れの一部 として
自我意識が落ち着くと

流されている小さな自分
ではなく
この流れの一部である
という輝きが
ほんわか ほんわか
湧いて来るかもしれません

自我がワルイわけでもなく
本質に戻れてなきゃダメでもなく

いま この瞬間

そのまんまのじぶん で
じゅうぶんだった と

思い出すかもしれません



桜が満開です

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