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ゲームは言うほど人生の役に立たない

原著は読んでいないのですが、それに関する記事や要約記事を見ました。で、けっこうゲーム推奨派がいたので、驚きました。いやいやいやと。私のゲームへの基本スタンスは下記の記事の通りです。


ゲームはそんなにいいものじゃないよという話を整理しておこうと思います。




ゲームも自己投影の鏡でしかない

 >>ゲームは人生に必要な要素をふんだんに備えている。だから、ゲームをすると 人生の経験値が増える。また、そこで得られた情報やらが人生を豊かにするから、ゲームをした方がお得だ<<

ざっくりまとめれば、この思想でゲームを推奨する人がいます。そういう思想に対して、私はゲームは自己投影の鏡であり、少し違う印象を持っています。

オンラインゲーム等の自由度が高いゲームを友人らと一緒に少しでもやればすぐ気づくと思います。

効率中毒。
バグ技チート技で一攫千金狙い。
コミュ力高めで色んな人から情報収集。
好感度上げにはまる。
推し活動をはじめる。
ちまちま雑魚敵を狩る。
レアドロップ狙い。
サブシナリオに夢中等々。
コレクター。

人によって、どこに興味面白さを見出して、どう取り組むのかは全然異なります。人生や趣味と同じです。人によって、なにをどうするかどう取り組むかは人それぞれの気質性質です。

言い換えるなら、ゲームのおかげで、いろんな世代の人と会話することへの抵抗感がなくなった。ゲームが役立った!は正確ではなく。町内会でも、スポーツの習い事でも、もし、いろんな世代の人との会話に興味がある人ならば、その時に誰彼はそこで学ぶんです。

つまり、大事なのは興味に合致した経験と気づき(発見)です。ゲームに限る話ではありません。ゲームだろうが、現実の人生だろうが、今目の前の体験経験をどんな興味をもって立ち向かっていて、何を考えたのかが糧になるだけで、一緒です。

なので、ゲームで学びました!ではなくて、保育園の砂場で、小学校の○○の行事で、人生の真理を学びましたと言う人と同列です。その人の興味に気づきを与えたのが、たまたまその時はゲームだっただけで、そのゲームのおかげでどうこうなった。ゲームは役立つものだ!やれば得する!は正確ではありません。





ゲームが役立つとは

以下の2パターンの場合は、確実に、人生において役に立ちます。

1、会話のツール、打ち解けツール

人と人が打ち解けるには、共通点が必要です。この役立ちポイントもゲームでなければならない理由にはならないです。しかし、発見とか気づきとか小難しいことを抜きにして、ただ、その経験値1つ余計にあれば、ないよりも明確に共通項を持たせてくれるので、友達作りのとっかかりには+に働きます。

2、擬似体験による早期の失敗や成功経験、僻地での体験

気づきを与えてくれる経験は、現実でなくてもいいわけです。現実で体験するのがまだ難しい分野に興味や関心があるならば、早めにゲームで擬似体験して、気づきを得ることも有効だと思います。但し、シュミレーターとしてあまりに精度が悪い場合、それは現実とはかけ離れて別物になってしまうので、そこまで役立つものにはならないかもしれません。(例:ギターフリークス。弦というかボタンが3つしかない、弾く要素がない等で本物のギターとは別物)

居住地が僻地である場合も同様で、気づきを得る経験が現実では手に入れずらい場合があります。僻地等の理由で、あるいは自然と離れた環境だから自然と触れにくい等の居住環境と気づきが離れている場合も、ゲームはシュミレーターとして+に働く場合があります。(例:ぼくの夏休み)

とはいえ、疑似体験よりも本物の方がより実体に即しているので、実体験を得られるならば、その方が手っ取り早いとは思います。





役立ちやすい、気づきを与えやすい(ゲーム)とは

※これまでの通り、”ゲームだから”役立つ!わけではないです。ゲームの中でも、こういう要素がある方が、役立ちやすいという話です。


・対人プレイのもの、他プレイヤーの記録がみれるもの。
・一つの方法に固執するだけでは、クリアできないもの
・身体能力や視覚能力の拡張拡大を必要とするもの
・多人数プレイによるコミュニティやコミュニケーションの場があるもの
・物語性があるもの
・シュミレーターとして精度が高い、あるいは現実以上に複雑なモノ


興味に合致した、経験をして、気づきを得る

この本質を満たしやすい(ゲーム)とは何かという条件群です。言い換えるならば、失敗して挫けてへこたれて、でもなんとかしてクリアしようとあくせくする。その過程が気づきであり発見なわけです。とにかくレベルを上げれば、何も考えずに倒せるみたいなゲーム(いわゆるJRPG系)は、自分の過去の成功体験を無反省脊髄反射で繰り返せば上手くいくので、あまり気づきを得にくいわけです。

対人プレイは、最適解がなく裏の読み合いになったり、新しい解法がうまれたりと、失敗や気づきが生まれやすい環境です。また、他の人の記録やプレイの結果を突きつけられれば、自分よりももっとよいやり方があることが明瞭で明確です。

音ゲーやシューティングゲーム等は、身体能力の拡張拡大や視覚能力の拡張拡大をゲームクリアに必要とされるので、より高難易度のステージをクリアできるようになった=そのまま成長に繋がります。現実にも直結する成長かはさておき……。

クランを作れたり、一緒に活動できたり。人とのかかわりがあるゲームも、自分の社会性や社交性の有無を判断できる指標になり有効です。(全く関わりに興味が持てないなら自分は個人主義であるとわかります。仕事でも他の作業でもその本質はわりと変わりません。)もし、社会性や社交性があるならば、ゲームを通じて、その興味を成長気づきをえる経験を手に入れることもできます。

物語とは、いわばどこかで誰かが経験し感動した話なので、自分の心に刺さる(自分にとって大事な価値観やらを明確化言語化した)ものは、自分の心の方向性を、自分に気づかせ教えてくれます。





おわりに

色々書きましたが、別にゲームで役立とうとか思っていない。楽しければいいじゃん!!でも別に良いと思います。楽しいだけを理由にやりすぎなければ。息抜きや気晴らしも人生には必要です。

”楽しい”という感情は、ある種集中してのめりこんでいる状態ともいえるので、その楽しさの中には、自分がどういうところに面白さや楽しさを感じるのか教えてくれる道しるべになっているかもしれません。しかし、パチンコやスロットみたいに、楽しいというより射幸性や派手な映像と音に脳がマヒして脳が自動運転してバグらされて楽しい??と誤認する状態になっているだけな場合もあります。虚無的な楽しさも息抜きや気晴らしに必要な時もありますが、そればかりではいけないので、自分の心と良く向き合う必要があると思います。

子供がゲームばかりするとか、ゲームばかりついついしてしまうのならば、親とかもっとうまい人が一緒にゲームをすればいいと思います。で、隣でアドバイスやら上手くできていない点を指摘したり自覚させる。気づきになりますね。もしそれがうんざりだ面倒くさい(言ったり見せる方のやり方も関係はしますが……)とか感じるならば、それは、自分の成功体験を繰り返して、自己満を繰り返したいだけなので、虚無的な楽しさに近いと自覚できるかもしれません。

ゲームとの向き合い方の参考になれば幸いです。

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