点と線と面と立体 物事の理解や人生の歩みの話
昔の焼き増し記事のようで恐縮なのですが、最近、友人と出かけた会話で感じたので、もう一度簡潔に整理しておきます。
知識や智は立体の円錐的な構造をしている
広大な世界の入り口に立って、少しでも多くを知ろうとしながら道半ばで人は死んでいきます。その人が学んでいく、物事を理解していく過程とは、広大な円錐に点をうって、それを繋いで線にしていって、気づけば、面になっていて、もっと立体的な構造になって、で最後はその各点や線や面や立体が他と繋がり、もっと大きな塊として理解が進みます。
具体的に車の運転に例えるならば、
点 前の車のブレーキランプと赤信号だけ気にして、STOP&GO
線 前の車とその前の車の車間距離を把握して、不要な減速を減らす
面 前方車両群の進む間隔や速度を把握して、一時停止や赤信号を予測する
立体 歩行者信号、横断車、全体の車の流れ等々、道路情報の全てを把握して、かつ、そこに予測情報まで加味して、最良の選択を事前に行う。
不必要な加減速が多い人はまだまだ点レベルですね。あおり運転をし始めてしまったり(遅い車をどかしたい気持ちが強くなったり)、減速を避けようとブレーキを踏むのを遅らせ始めたら線レベルですね。国道を走っている車群が等間隔で等速で走っているような状態ならば面レベルです。自分たちチームや全体を把握できて波に乗れている状態です。最後は、早い車に道を譲ったり、歩行者信号や前方車両の動き、そこから道路状況や今後の道路変化を予測し、事故や無駄を避けるために最良の選択をとれると立体レベルですね。ここまでくれば車の動きだけで意思疎通ができるレベルです。一番交通がスムーズに円滑に流れます。
点でも線でも生活には支障がない
上の例の通りですが、別に理解が点でも生活に支障はありません。周りからはこいつ点だな。下手だなと思われています。しかし、事故にはならないので生活できてしまいます。
またもっといえば、車の運転という日常生活の一部ではなくて、ミステリとはなにか??の理論体系とか。そんな理論体系を一切知らない、点の理解さえしていなくても生活に支障がない領域すらあります。
さらに言えば、線の理解で止まる人が大勢です。何故ならば、車の運転の例の通り、個人の利益を最大化するのは線の状態だからです。面や立体の領域は他者と自己との融和や、自己の美学の追求の領域が顔を出していきます。他者と融和するとは、譲り合ったりすると言い換えられ、常に自己を押し通すよりも利益は減ります。また、美学(ロマン)の追求も、心地よいの感情を優先することにもつながるので、同様に、自己の実利益を減少させます。線で止まる人が大勢です。この辺は、下の記事の話とも関連しますね。
とはいえ、その人の全てがそうというわけではないでしょう。その人の興味関心が、面や立体にまで理解が進む分野領域もあると思います。点や線で終わる部分があってもいいと思います。逆に言いたいのは、面や立体に近づく理解をしようと思う分野、しようとしていく領域を自覚して大事にするべきだと思います。先のこと(将来や次に起きる出来事)を予測できるしたいと思う分野、予測した上で自分はどうすべきかを考えられる分野ということですね。
おわりに
集計の奇跡?と呼ばれる概念を最近知りました。101人の中に1人しか賢いものがいなくても、101人で投票すれば常にその社会や決断はより正解に近い方を選べるという概念です。(厳密に言うと、集計の奇跡が起きる起きにくい条件や状況があるので、要確認して下さい。)
どういう理屈かというと、バカや無能(それについて点や線の理解しかしていない人)は将来を予測できないので、的外れなことを言ったりしたりします。しかし、それはプラスとマイナス両方に分散して、結果的に相殺しあうということです。例えば、瓶の中で満杯のグミの数を当てさせる問題を出した時に、知らない人は極端に少ない数を出したり多い数を出したりするのですが、平均すれば、それが相殺されるというわけです。つまり、50対50の中で最後に賢いものの1票が入ることで51対50になります。たった1人しか賢者がいなくても正解に近い将来予測が採用されるという概念です。
何がいいたいかと言うと、点の理解でも線の理解でもなんら恥じることはないですし、線の理解だけを多くしていることを誇ることもないということです。集団や社会で見れば、各自のバカや無能な部分は、それらはすべてならされて平らになっていくからです。そしてあなたの面や立体の部分は、よりよい将来に向けて採用され意義を成すということです。
苦手、不得意、興味関心の違い、劣等感、様々なことで他人と比較して、気持ちは日々うつろぐものだと思います。しかし、個性を大事に!自分を大事に!はうわっつらの言葉だけではなく、こういう形でも正しいことだと論証できます。そしてあなたの賢い部分が利用されていないのは、集計の奇跡が起きにくい環境や条件のせいであり、あなたのせいではありません。バカだろうが無能だろうが、環境のせいだろうが、まぁなんでもいいのですが、しかしそれらは全部不純物です。来たる日の為に、自分の面と立体を進んでいつか意義を成す時が来る。それだけですね。
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