面白い動画記録その7 ベーシックインカムについて 生きるためだけの労働からの解放


なぜか最近youtubeで、ベーシックインカムチャンネルさんをおすすめされる。投稿5,6動画なのに、各動画万再生されていて凄いなぁと思う。(みんなそれだけ日々の生活のためだけの労働に疲れているのだなとも思うが……)名前の通りその動画群の根底には、だからベーシックインカムやろうぜ!となっている。私は、ベーシックインカム反対派なので、つらつら書いていこうと思う。





ベーシックインカム(社会保障)とは

そもそもベーシックインカムとは何かと言えば、国民全員に衣食住やらの一か月に必要な最低生活費十数万円を最初から配ります。というものだ。

何故そんな発想や話になるかと言えば、それは社会保障制度(所得の再分配による秩序の安定化)における1提案である。社会保障とは何かといえば、国民健康保険なんかがわかりやすい。みんなでお金を出しあい原資にして、病気になってしまった人は皆から集めた金を使えるので安く治療を受けられる(所得を再分配する)。短期的なミクロでみれば出す方が多い人(損する人)、もらう方が多い人(得する人)が出てくるが、病気になっても保険が利くおかげで、社会全体で見れば病気にかかる不安から解放される。秩序信用信頼が安定するわけだ。

一方で、保険のないアメリカは自由診療なので、病気になって百万円の治療費を請求されたみたいなことになる。貯蓄がないタイミングで病気になったら、そこで人生詰むことになったり、ベリーハードからのスタートになったりする。(実際は、民間の保険会社で個人で健康保険に申し込んだりして、病気への不安リスクを減らして生活を回しているわけだが、国の補助やらがない分、保険料がばか高い。)





ベーシックインカム反対の理由

健康保険が、国民全員の病気不安からの解放を達成するのに対して、ベーシックインカムという社会保障制度は、なにから解放してくれるのだろうか。それは、生き残るためだけの日々の労働からの解放である。なにもしなくても1か月分の生活費がポンと渡されることになるので、私たちは無理して、バイトしたりパートをしたり、あくせくして働かなくてよいことになるわけだ。一日中youtubeみて過ごしていてもいいし。お笑いに興味があって漫才師になりたいのなら、その夢だけを全力でおってもいい。生きるためだけの労働にあくせくしないので、自分の日々の自由を勝ち取ることができる。

さて、こう聞くと良い事に思える人もいるかもしれない。しかし、ベーシックインカムへの反対・賛成をわけるのは性善説や性悪説にも似た、人間はなにも制約がなくても労働するのかという、有労働説、無労働説だ。働かなくてもいいよ♪といわれても働くのだろうか。

ベーシックインカムの理想で言えば、目先の生活の糧に囚われずに、みんな好きなことを好きにできるようになるのだから、働きたいときに、その人なりのはたらき方をして、自分の夢ややりたいことに全力で取り組める。制約のない働きやすい世界の構築であり、豊かに楽に幸せになれる社会を想定する。自由と豊かさと生活の安心とを両立したような世界を想像する。しかし、そんな理想状態にはならないと思う。

イメージするならば、夏休みの学生や年金暮らしの老人だろう。労働への不安はないよ。するべきことはないよ。全部自分の自由でやっていいよといわれた誰彼が、そんなに生産的な活動労働をしているか???社会に何かを供給しているのか???という話である。近似なデータを取ってみてもいいし。過去の共産主義の失敗を振り返っても自明だろう。楽できるなら楽するのが多くの人間であり一般的な大衆である。

無理して労働しなくていいよ。最低限これだけしとけばいいんじゃない?と言われた誰彼が、期待される予想水準以上に生産的に活動的に働く方が少ないはずだ。全体で見れば、労働せず楽に好きにしていいよと言われたら、怠けて遊ぶ割合が多くなることだろう。





労働=生産的活動、社会保障=所得の再分配

楽して怠けて遊べることを、豊かになった。そういう社会が望ましいと思う人はそれでもいるかもしれない。しかし、当たり前だが、社会保障は所得の再分配である。お金を集めて割り振っているのだ。社会に貢献していないyoutubeばかりみて一月過ごした人にも十数万円が送られているのだとしたら、その分、そのしわ寄せは必死に働いたり、お金をぶん回して得た誰彼の付加価値を今以上に取り上げることになる。働かざる者食うべからずならわけで、どこかで働かない人の分を捻出しなければいけないことになるのだから、無理矢理奪って、楽した人に割り振ることになる。

それらはもともと労働者から搾取したお金だ!とか、なにもせずに親から譲り受けた不労所得のお金だ!使い切れないお金だ!それをこっちに回して何が悪い!とそれでもいう人もいるかもしれない。つまるところ、不当に?お金を持っている奴はこっちによこせと言う奴もいるだろう。

さて、そんな楽して怠けたい奴の方が得する社会をあなたは望みますか、それがいいことだと思うのかという話だ。お金を稼ぐ方法とそれに見合った社会保障の在り方(分配方法)については様々な議論があると思う。なんの努力もしていないのに親からもらったお金で豪遊している奴をズルイと思うのは自然な感情だろう。すでに貯蓄がたんまりある老人が、さらに年金や助成金補助金で得するような事例に憤慨する気持ちもわかる。

しかし、それは、個人の資質と所得の関係性の不均衡や、資本による格差拡大への不均衡の問題等である。所得捕捉率みたいな話とも似ていて、どこからどう集めるかの領域の話である。要は、”必要な人に必要な時に必要な分だけ”の金融や社会保障の本質を達成できていないだけである。

こちらによこせみんなに配ろう(ベーシックインカム)というどうだれに配るかの配分以前の問題であり、本質的に異なる領域である。どこかにお金の偏りがあるなら、どこに偏りがあってそれをどう失くすかをまず考えるべきであり、いきなりどう配るか問題として考えるのは飛躍している。

どう搾取されているかが問題なら、その搾取を失くすべきだ。それらを無視して一括りにして全員から集めて皆に配ろう!という結果の平等保障は大味でおおざっぱなものだ。結果の平等は、個々人の努力ややる気や頑張りの意味を失くす方向にしか働かない。それはたしかに楽な社会かもしれないが、”豊かな”社会と本当に言えるのだろうか。





国力と真の豊かさ

頑張った人がその頑張りに応じて、正当に報われる社会
困っている人が困っている時に、困っている分だけ助けられる社会

小難しい言葉をならべたけれども、つまるところ、国力や暮らす人の豊かさを真に推し進めるには、この2つの理念でしかない。で、その理念が達成されているならば、不安はなく、みんな自分なりに頑張ってその頑張りを享受して、前に進んで、そこでえた技術革新や発明やらなにやらの成果が個や国に還元されて、国力として国として豊かになる。そういう好循環が生まれる。

履き違えてはいけないのは、働かざる者食うべからずということだ。働かないものでも誰でもとりあえず全員助けよう!という頑張らないものや働かないものを含んで推奨手助けすることは、1と2の理念の双方に反していて、腐敗や不正や諦めや意欲消失につながる。ベーシックインカムは、一部の個々人の豊かさ(楽さ手軽さ)を底上げするかもしれないが、国や組織で見れば、それは衰退破綻の一途を踏み出すことにしかならないと思う。

というわけで、ベーシックインカムには、私は反対の立場である。





ベーシックインカム推奨派がいうメリット

以上より、本質的には誤りだと思うが、ベーシックインカムのメリットや狙いとして言われる周辺の価値にも触れておく。

1、基本的人権(の中の主に生存権)を確実に守れること
2、保護や保障、補助等の社会保障の類を、ある程度一本化できるので運用が楽に。
3、生活に苦しむ人がいなければ、その社会は平和で秩序が保たれて、やりたいことを最大限に取り組める幸福な社会になるのでは??
4、生活に苦しむことがなければ、未来の不安が軽減して、貯金する動機が減り、お金のやり取りが活発化して、経済効果をみこめるのでは??


1は、ベーシックインカムに限らず、社会保障とは命に対する見方、人間とは何かに対する見方が過分に含まれた議論になる。冒頭で健康保険の例を出したが、あれも別の人間観を持つ人に言わせれば、病気になっても大丈夫安心だというなら、国民全員が健康に配慮する意識は少なからず減少して、無駄に社会に病気が増えることになると言う人もいるかもしれない。だから健康保険を失くし自己責任を拡大させたほうが、いいのではという考えも1提案としてはありうる。

もっと言えば、命の価値は??という問いだ。生活保護やらなにやらで、苦しんでいる人は救うべきだ。今の制度ではうまく救えない、最初から救えばいい(最初から配っておけばいい=ベーシックインカム)な発想は、命は無条件で大事だ!!という人間観に由来する。その人にはベーシックインカムはなんとも安直で有効な手に見えるのは致し方ない。しかし、私は姥捨て山のような人間観なので、その村や家に余裕があるなら、養えばいいし、でなければ捨てるのも致し方ないと思う。その人なりの労働力やらなにやらで貢献しているなら、養えばいいと思うし、財政状況や貢献やらを鑑みて、養えない無理!!となったら切り捨てられるのは致し方ないと思う。非情に思われるかもしれないが、それがそもそも生物や生き物の基本原理だからだ。餌を取ったり貢献しない生物は、切り捨てられて当然で、働かざる者食うべからずは生物の基本原理である。基本を履き違えると、どこかにしわ寄せや無理や不合理が生じてくる。破綻に近づいてしまう。

2は、この人は生活保護に該当するのかとか、補助金助成金とか色々考えなくても一律に処理できるので処理が効率的になるという話だ。しかし、そもそもその方向に進むこと自体が誤りであるというのは散々述べてきた通りだ。うちで借金を一本化しましょうよ。管理がらくになりますぜ、ぐへへと同列の話だ。いやいや、その借金なんでしたの?それ返さないといけない借金なの?一本化でさらに手数料やら追加でかかるでしょ?とか他の領域の議論を無視した話でしかない。このメリットだけ見るのは不毛だ。

3,4はこれまで述べた通り、そううまくはいかないんじゃないというスタンスである。3はいわずもがなでこれまでのように全否定である。4は、そういう可能性はあるかもしれないが、ベーシックインカム制度が本当に長い間機能するという信頼を得られて、かつ、国民の認識構造が変化しなければ、国民はそういう行動に変われない。例えば、年金も老後の保障をしているわけだが、年金はなくなるかもしれない減額するかもしれない云々の不安のせいで、結局は誰彼もとりあえずは貯蓄に走っている。今貰えているものと、将来貰えるだろうものを、時間軸を超えて正しい客観的選択をできないのが人間なのだ。時間と不安による認知の歪みともいえるし、マシュマロ問題の話とも近いような認知の歪みともいえる。でも、それが人間だ。4は期待するほどには起こらないと思う。




おわりに

というわけで、ベーシックインカム問題はすでに答えが出ている問題だと思うのだが、議論のような推奨派の独り言のような、延々と話が飛び交っているのが理解できない。不思議だ。ベーシックインカムとは言わずに、人間の命はどこまで救うべきか?で話した方が、まだ建設的な気がする。そこには議論の余地がある。

働かざる者食うべからず
頑張った人がその頑張りに応じて、正当に報われる社会
困っている人が困っている時に、困っている分だけ助けられる社会

長くなりましたが、この辺の理念は純度が高くて誤りのないものだと思うので、伝わるところがあれば幸いです。

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