見出し画像

時たまに思うこと

こんばんは、杞憂です。
夜にふと「こうだったら、こうじゃなかったら」などなど、そんなことを思うことはありますでしょうか。

私はリアルな話、ドエムといわれる部類に分類されるのではと思うくらいには求められたがりです。
それと同時に愛されたがりで。自分に嫌気がさすほどに、どれが強くて。
程よく痛いほど、うっとりしてしまうような愛というかなんというか、自分の必要性をそこに感じてしまう自分がいます。

こういったものは、いわゆる自己顕示欲なのかはたまた性欲なのか、そういった類にされてしまうのかなと。

何を言いたいのかわかったもんじゃないですね。
私自身、自分が不思議で奇怪でたまりません。
睡眠欲も、性欲も、食欲も
全部が人と比べたら奇怪で不可思議であまりにも悍ましいのかなと。
まぁこれが私なのですが…

ただ、世間の常識の範囲で知られているようなもの、味でも感覚でも感情でもなんでも
そういったいわゆる「普通」にはなれないと

一人が普通なら、きっとみんな普通なんだろうし
一人が異常ならみんな異常なのかもしれないし

私はよく人に「おかしい」とか「狂ってる」とか、そんな言葉を言われます。
これは一見蔑みとか、哀れとかそんな類の言葉と感じる人は多いのかなと。

けれどこれらの向けられた言葉、異常性を表す言葉は案外誉め言葉なのかなと。

結局何が言いたいんだって自分でも思うのですが、答えは何年かかっても出てこないんだろうなぁ

周りがみんな普通で、その誰かがいつ作ったかわからない普通になるのが正しいとしたら
私は今まで通り「異常」でいいなと

私は「異常」で「普通じゃない」と非難されていたほうが、居心地がいい。

ただでさえ、たった一人の「ニンゲン」を消されまくってしまっている世の中なので
生きてる限りは抗いたいし少なからずニンゲンを保っていたいなと。

本音は猫になって愛でられて生きたいと思っています。

ニャーってすり寄ったらナデナデしてもらえて
ニャーって転がったら、横に座ってもらえて
ニャーって見送ったら、会えない時間を惜しんでくれて
ニャーって泣いたら、どうしたのって気にかけてくれて
ニャーって言ったら、ニコニコ笑顔を向けてくれて
ニャーって行ったら、追いかけっこしてくれて
ニャーって逝ったら、悲しんで泣いてくれて

いいなぁと


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?