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生きること 死ぬこと


「数年前、銀行に行って手続きをしようとしたら、
本人確認の書類提出を求められたことがありました。
私は運転免許を持っていないし、
病院に来たわけじゃないから健康保険証も持っていませんでした。
そうしたらその銀行員が「困りましたね。わかってるんですけどね」と言う。
よく行く地元の銀行ですから、その人も私本人だとわかっているんです。
ここにいるのは間違いなく養老孟司なのに、
なぜ養老孟司と認識されないのか。いったい「本人」って何でしょうか。  
それから数年して答えが出ました。
本人は、いまや「ノイズ」です。
本人の情報さえあればいいんです。
本人確認の書類をロボットが持ってきたらどうするのか。
たぶん、それでもいいんでしょう。
生身の顔色や機嫌、声、匂いなど、すべてが感覚所与、つまりノイズなのです。  
医療現場でも、肉体を持った患者さんがどこかに行ってしまって、
検査の結果だけが事実になってしまった。
正常値から外れた数値を、正常値に戻すことだけが医者の仕事になっている。
その仕事が、その患者さんとどのくらい関係があるのかというと、
実はもうほとんど関係ないわけです。  
私は東大の医学部にいたので、患者さんを紹介することがありました。
治療が終わった患者さんが、お礼を言いに来る。
そこで何を言うかというと、「担当の先生は、顔も見ないんです。
カルテを見て、パソコンを見ているだけで、手も触らない」。
まさに「統計」だけが「事実」で、本人がいない

—『ものがわかるということ』養老孟司著

お盆ですね。
亡くなった祖父や祖母
父などを想いながら

親子の縁 夫婦の縁 地域の縁
心と身体がつなぐもの
情報をAIに入れると文章、写真、動画、
あっという間にできるようになった。
『縁』はどうなっていくのだろう

河瀬直美さんの映画を何本か見ると
生きること 死ぬこと
を考えさせられる

魂、意識、肉体それぞれをもって生きている
夫婦は長くいると似てくる
親子はDNAで似てくる
これはなんだろう
脳の仕組みとコンピュータの仕組みはつながり始めたが、
顔や表情、体つきはどうやって作られるのだろう
脳が伝える電気信号と意識とは何が違うのだろう
『魂』ってなんだろう
『エネルギー』ってなんだろう
『生命』ってなんだろう

一つ一つの今までの縁、出会いを大切にしようと

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