生活保護について思う事
日本は遠い未来には、世界経済における生活保護国みたいになるしかないのかしら?とボンヤリ思ってます。
この先も資本主義のままだろうし、しばらくは景気が上昇するとか高度成長期がまた戻って来るとか、私は思っていなくて、しないけど戦争して儲かる路線もないし、日本は何世代もかけて、これから貧乏になって行くかもしれないと感じています。だからといって無くなってもいい国・国民とは、思われていないと思います。
どこの国もそうなのかは、わからないですが、日本は管理社会になるのが進んでて、経済的に、他国からも丸見えでいいか?という事が、いろんな点で増えています。インボイス制度とかマイナンバーカードとか私はそう思います。「まるで生活保護の暮らしのようだ?」と感じる事が多いです。生活保護になると、食べていけるお金は支給されますが、資産は持てなくて貯蓄も、遠くへの旅行も、報告しないといけません。それ傾向が、日本国民全体に広がってるのかしら?とすら思います。
いまどきは世界の偉い人同士の間では、もう経済のパワーバランスっていうのも、チョイチョイと調整できるようになってるのかも?じゃあ日本はどうなるの?と空想したりします。
私は、統合失調症になってから実際に生活保護だった時もありますし、今後また生活保護を受ける可能性も高いです。
はじめて生活保護になった時に、お金に対する価値観が変わりました。仕事しなくても死ぬまで食べてはいけるのだという安心感と、資本主義社会を働く人に対しても、申し訳なさのような入り混じった気持ちをもっていました。一人前の社会人であるというプライドも傷ついていましたが、そのプライドについては、今はもう、錯覚の様な事だったなーと思っています。
その前はとにかくずっと、貧乏だったら生きていけない!と思って働きまくっていました。貧乏が怖かったのです。
生活保護になって、別に貧乏は怖くない、そうでもない、と分かったのです。「生活の為に稼がなくていい」「療養してください」とされた事で、お金という価値観から解放されたのは大きかったです。
お金なくても笑えるし、お金なくても人のために心を砕けるし、お金なくても恋愛できるし、お金なくても友達もできます。質素に食べていけるだけですが、私にはそれで十分に安心できると思えました。
それまでは、働き出してからずっと私の行動や考え方は、お金にだけ振り回されていたと思います。
貧乏を知らずにただ恐れてる人や、上昇志向?の人は嫌がるかと思いますが、日本は敗戦した国でもあるし、軍隊を持たない・戦争をしないという条件も考えた上で、それを踏まえて、それでも自分には贅沢が大事という考えであるならいいですが、過去に敗戦した国の国民であることを、あまり深く考えないで「ただ贅沢していたい」「それが幸せとされてるから」「その価値観以外は学校でも親にも教わっていないから」という人もいます。
いまの私にとって、お金があって当たり前というのは不思議に思う事なのです。
そういう人を否定はしません。その人にとっては現実に社会がそうなんだと理解してます。そう思ってる人の人数もけっこう多いと知ってます。
私は、日本国は、この先も国民が飢えないで食べていけたら、それだけで別にいいのでは。国民もきっとお金有線ではない社会にも対応できるよ。と、たまに考えます。
自分の国で生まれ育って働き、子育てして平和に暮らせる、という、それだけでも、幸せな事情だと思うのです。
実際に今後どうなるかは、誰にもわからないかも知れませんが、
もし日本から余分なお金が無くなる時代がきても、心だけは平和でいれることが出来る国民性と信じてます。お金が無くならないのが一番いいかも知れませんが、でも貧乏になっても平和であるような、そんな新しい時代を、ちょっと見てみたいような気持ちもあります。
ふとたまに思う事を、ここに書いてみました。
私の空想に付き合ってくださって、ありがとうございます。
画像は、公園にある日時計の鳥です。日時計が好きなのでたまに撮影します。内容とは関係ありません。
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