いつの日かありきたりな愛の映画|映画『his』レビュー

少し前に『his』という映画を観ました。ダブル主演をつとめた、注目の若手俳優・宮沢氷魚と、個人的にいま推しの藤原季節の、瑞々しい演技が光る素晴らしい映画でした。上映開始から1ヶ月以上経っていますが、感じたことを今更ながら書き留めておこうと思います。

本作については公式サイトの紹介がもっとも端的で丁寧に作品を説明できている(すごく珍しいことですね)ため、作品自体の説明は以下の通り引用しつつ、ここではあくまで、個人として感じたことを中心に書いていきます。なお、具体的なネタバレはしないように努めていますが、事前情報なしで楽しみたい方は鑑賞後にこのページを開いていただけると嬉しいです。

以下作品紹介の引用です。

企画・脚本は、放送作家としてそのキャリアをスタートさせ、近年はドラマや映画の脚本を多く手掛けているアサダアツシ。20数年前に仕事仲間からかけられた「自分たちゲイが高校時代に見たかった、『恋愛っていいな』と思えるドラマをいつか書いてよ」という言葉を出発点に企画を立案。友情が愛情へと変化していくなかで自身のセクシャリティに揺れ動く二人の男子高校生・迅と渚を描いた連続ドラマ「his〜恋するつもりなんてなかった〜」(2019年春オンエア)を前日譚に、映画では大人になった彼らが周囲と関わりながら自分たちの生き方を模索していくストーリーを紡いでいる。

本作では、8年ぶりに突然娘を連れて現れた渚を迅がどう受け入れるのかという恋愛ストーリーに加え、LGBTQの人々と古くから根付いている共同体の共存への希望、親権を争う法廷劇、変化しつつある家族の形、そしてシングルマザーが直面する過酷な現状なども描かれる。一方で本作には、LGBTQ作品につきものの、偏見と無知にまみれた悪役が登場しない。LGBTQ(マイノリティ)VS社会(マジョリティ)ではなく、すべての人が社会の一員としてフラットに描かれる。マイノリティだからと何かを諦めて生きてきた迅と渚が、そして彼らに関わった人たちが、それぞれに境界線を越えていく人間ドラマである。

以上公式サイトより。

公開時の記者会見での出演者の言葉に沿っていえば、この映画は「LGBT(Q)の現状」を描いた映画です。公式サイトの紹介にあるように、「LGBTQ作品につきものの、偏見と無知にまみれた悪役」はほとんど登場しませんが、それでもやはり数人は登場します。その点ではおそらく2020年現在の日本の状況にかなり近い世界観なのでしょう。言い換えれば、過去よりいくぶんマシな状況になっているものの、まだまだ問題提起と啓蒙の必要性が大きい現代へ向けたメッセージ作品のようです。

ただ、ゲイカップルの生き姿にだけ焦点を当てたシングルイシューの作品というわけでもなく、シングルペアレントの生きづらさや、贈与経済の要素を含む地域社会とのつながり、毒親、よくわからない常識が蔓延る司法判断の問題など、社会的なテーマがかなり渋滞している作品です(褒めてます)。

作品が内包するテーマがセンシティブなものである場合、そしてそのテーマが多くの人に関連する場合、おそらく作り手にとってもっとも避けたいことのひとつに、予期せぬ方向へのミスリード(そしてそのミスリードが誰かを傷つけてしまうこと)が挙げられると思います。誰かの目に、耳に、そのほかあらゆる感覚や感性に触れることを前提とした表現行為では、鑑賞者をどこまで信じるのか、自由な解釈の余白をどれだけ残すのか、という点がひとつの重要な争点になります。その余白の残しかた次第で、作品の魅力が大きく左右されるからです。
その点、映画『his』では、そのような余白が非常に少ないと感じました。ひとつひとつのシーンがとても丁寧に紡がれ、作り手のメッセージが可能な限りストレートに伝わるような注意深さを感じます。一言でいうと、とても分かりやすい映画です。これは、鑑賞者を信じていないことを意味するのではなく、可能な限り正確にメッセージを届けることをなにより優先した結果なのだと思います。公式サイトの作品紹介が非常に丁寧に書かれているのも、同様の意図に沿ってなされたものなのでしょう。

『his』は作り手も語るように、LGBTQ映画ということのようです。ただ私は、そういった前置きを踏まえずとも、映画を観ながら無意識に「LGBTQ映画」という枠にいつのまにかカテゴライズしてしまっていて、そしてその無意識のカテゴライズにたいして、ふと後ろめたさのような、もやもやした感覚をおぼえました。
この後ろめたさのような感覚は、現在の基準ではマジョリティに属する私にとっては心地よくとても滑らかに生きることができる世界を、無自覚に生きていることに気付かされることに因るものでしょうか。あるいは子供の頃テレビアニメで見た「オカマのキャラ」を、友人たちとホモだのゲイだのと無知のままに笑っていたことをうっすら覚えているからでしょうか。おそらくその両方でもあり、さらにまだ言語化できていないしんどい理由も含まれているんだろうなと思います。
自分がどこでどんなふうに不当な差別や不公平な社会に加担しているのかわからないという、ちょっとした不安感ともいえるかもしれません。『his』で描かれるいくつかの問題に限らず、在日外国人をめぐる問題や男女の不平等などについても、なんらかの形で加害者になっているのかもしれない。それらの問題を解消して世界をより良い場所にするためになにをしたらいいのだろう。世界は変えられなくても、少なくとも自分はきちんとした知識や感覚を持っているだろうか。映画であれ現実であれ、自分が当事者ではない問題に関して、まさにその当事者である人々の姿を見て、どのような感情を抱くのが正しいんだろう。そのような(たぶん余計な)不安と、そうした問いの答えが結局わからないことへの不安に近いと思います。

映画『his』で、強く印象に残っているシーンがあります。根岸季衣さん演じる麻雀大好きおばさん・吉村さんが、迅(宮沢氷魚)に向かって粋なセリフを放つシーンです。不覚にも、思いっきり泣いてしまいました。知識とか正しさをはるかに超えた、圧倒的な優しさに溢れた言葉でした。知識よりもあんな言葉を持てるひとになりたい。正しくありたいというより、あんなふうに優しくありたい。そう強く思わされるシーンでした。

昔の映画を観ていると、そこで描かれている世界観や価値観がどこか遠くに感じられ、現代のそれらとはどうしても結びつかないことがよくあります。この映画も、そのうちいろんなことがどうでもよくなって「ひと昔前の恋愛映画観てたらたまたま主人公が同性カップルで、なんかいろいろ揉めてるけどなんで?まあいいか、とりあえず役者さんめっちゃいい芝居してんな」くらいのノリで、いつの日かありきたりな愛の映画になる日がくるといいですね。きっとくると思います。

公開からしばらく経っていますがまだ上映されているので、興味を持った方にはぜひ観ていただきたいです。

公式サイト: https://www.phantom-film.com/his-movie/index.html

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