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ケーキを切れない非行少年たち

いま書店にいくと、大体新書コーナーにこの本がPOP付きで並べられているとおもう。書店に寄るたびに気になっていて、つい先日、長距離移動のお供にと手にとってみた。

教育のことについては何の知識もない門外漢だけれど、漠然と、非行少年がどうして生まれてきてしまうのかは想像がついていた。いや、想像がついていると思い違いをしていた。

この本を読んでみると、漠然と「犯罪に手を染めてしまった非行少年たち」に対するイメージが塗り替わるとおもう。1-2時間でさくっと読めるので、小説やビジネス書に飽きたタイミングの方にはぜひおすすめした。

本書の要点をざっくりかいつまむと、見る・聞く・想像するなどの認知能力が弱いことによって学校や家庭で不和が起き、それが犯罪に繋がっている可能性が大いにあるよ、ということ。

悪いことをしたからといって、直接的に「どうしてそんなことをしたのか」と原因究明しようとしたり、「遺族についてどうおもうか」と反省を促したりしてみても意味がないし効果がうすい。

反省する能力がないので、まさに反省する以前の問題である非行少年たちもたくさんいるというのだ。

「ケーキを切れない少年たち」というタイトルに惹かれて手にとったので、あらためてこのことについて書いてみると、要はケーキを3等分しろといわれてもそれができない非行少年が実在するということ。

これはケーキを等分するだけに限らず、単純な計算問題ができない、脳のワーキングメモリ(一時的にみじかい言葉などを記憶しておく場所)が弱いせいで漢字も書けない・人の言ったことが覚えられないなど、まさに小学校教育の時点でうまくいかずに躓いてしまっているケースが多いのだとか。

だからといって小学校教育の現場だけに責任の比重がかたよるわけではないとおもうけれど、読み進めてみると、たしかに一端を担っているのだなという気がしてくる。

読む力・見る力・聞く力・想像する力。

ひととして生きていく限り、これらの認知能力が弱いと、さぞ生きにくいことになってしまう。まわりの目線や世間体をとくに気にする日本という国では、なおさらかもしれない。

これらの能力が先天的なもので、持って生まれてきてしまったからにはもうなんともできない種類のものならどうしようもないけれど、トレーニングで十分に改善が見込める可能性があるらしい。今後の小学校教育において、少しでも「忘れられる」少年たちが減ればいいなとおもった次第でした。


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