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あやふやなものに名前をつける


「天気の子」を観てきた。

新海誠監督の作品だということで、どうしても前作「君の名は。」と比較してしまう思考回路を止められないと思うのだけど、わたしはまったく別個の作品として観ることができたのである種ホッとしている。

根底に流れているものは「愛」なので、愛そのもの、愛にまつわるもの、そこから派生していく感情などを言語化していく過程に揺さぶられる物語だった。

今までは、言語化できない物事についてはそのまま放置していたのですが(言語化する必要性があまり感じられなかった)、ここ最近は仕事柄しなければ始まらないので、あらためて向き合おうとしてみたり。

それでも、言語化は難しい。自分のなかでしっくりくる表現を見つけること、言葉を探すこと、あるべき場所におさめる作業。

「天気の子」の登場人物たちは、みんな、自分のなかの「こうあるべき」を曲げずに、それでも柔軟に他人を認め受け入れようとしている。稀に弾かれても向かっていく勇気、拍動、すべてが伝わってきてそのまま鼓動になった。

恋と愛の違いは濃度だと思っていて、それは想像だけでは肌身に沁みないもので、出会うべきひとと出会えないと実感できないものだと知った。

知らない感情を知って、言ったことのない言葉を口にして、すべてを共有し合って、それでも互いに言語化できずにモヤモヤしている領域さえも隠さずに見せつけ合って。

愛は、あやふやなものに名前をつける作業だ。

まだまだわからないことがある。まだまだ知らないことがある。それでも無理矢理に言葉にして、間違えたら謝って、そうやって進んでいく。

終わりがないように見えることが時に絶望を感じさせるけれど、積み重ねていく、倒れそうになってもどこまでも、風に揺れそうになっても補強しながら、高く高く、つよくつよく。

「天気の子」はハッピーエンドだ。私はそう思う。


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