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イカから始まる旅

「もっと北へ行かなくては」「冒険の旅に出なくては」という漠然とした思いが、歌集を出して以来、ずっとある。
「北」っていうのはわかりやすくて、東京とか中央とかそういうものから離れようということ。わたしの居場所はそこじゃないってこと。「冒険」は、たぶん北海道の大自然を前にしたときに感じる畏れや魂がざわざわする感じを辿って、自分にとって「北」というものが何なのかをわかりたい、というようなことなのだと思う。その「冒険」にどう出たらいいのかがずっとわからなかったのだけど、最近になってようやくわかった。海だ。

発端はこうした歌だった。

日にかざす半欠け砥石朝あさをイカマキリ砥ぐ君達ありし
仕舞ひ置かむ君達の名の刻みあるイカマキリ十丁刃先光るを
イカを割きイカを掛けてくれし君達と入りつ日を見し野に影置きて
君達がイカを干す野に歌ひゐし女工節今も耳に顕ちくる
――明美智子「出面さん 君達」(「歌壇」2020年5月号)

これらの歌は「秘蔵っ子歌人32人競詠―各結社の知られざる有望・実力歌人たち」という特集に載っていたのだけど、わたしは明さんの歌に目が釘付けになった。
「原始林」所属で「イカ」なんて、これはきっと函館の歌なのだろう。函館がイカの街だということは、道民ならだれでも知っている。でも、「イカマキリ砥ぐ君達」「イカを割きイカを掛けてくれし君達」の存在に思いが至ったのは初めてのことだった。見落としてはいけないものがあるような気がした。

「原始林」の大朝さんに手紙を書いて、明さんの作品が載っている号を何冊か送っていただいた。明さんは2020年に「原始林賞」を受賞されている。函館でスルメイカを扱う水産加工場を長年営んできたが、つい最近、工場を畳んでしまったことが作品からわかった。

同業の破産がありてしきりにも届くファックス沈痛が載る
静けさは当然なれど二度ばかりこぶしに叩くこのトタン塀
いつ迄も落ち着き難きわれの脳イカ割き台のマキリ傷撫づ
二人のみの解体の日び高きに乗る夫の梯子をふんばり支ふ
会はざるは会はざるままに君達の名をば忘れず死にし人をも
――原始林賞受賞作「工場を閉づ」(「原始林」2020年4月号)

ここ数年、道南でのイカの不漁は深刻な問題となっているが、新聞やテレビには表現できない、生(なま)の歴史が明さんの歌にはあると思った。

『デジタル版 函館市史』というものがインターネットで検索すれば読むことができる。わたしは数日、夢中になってこれを読んだ。
道南のスルメイカ漁というのは比較的最近になって始まったものらしい。明さんの歌に出て来る「出面さん」は女性のパートさんのこと。彼女たちの姿をわたしはある場所で目にすることになるのだが、それはまたのちほど。

『函館市史』には「イカ」以上に目につく言葉があった。「北洋漁業」。
日露戦争に勝利した日本は、カムチャツカ半島とかロシア領の沿岸で魚を捕れるようになるのだけど、函館はそこへ行く船団の基地で、街はとにかく賑やかで儲かったらしい(ちなみに石川啄木が函館にやってきたのもちょうどこの頃)。
漁場であるベーリング海は別名「低気圧の墓場」。
荒れ狂う海、海の底にひしめく夥しい数のタラバガニ、ビチビチ跳ねる鮭やタラ。「金を稼ぐ」ということ――。そこにはどんな人たちがいたのだろう。

何かを掴んだような気がして、5月、わたしは函館行きの特急を予約した。


……とこんな感じで、わたしの「海活(うみかつ)」が始まりました。
短歌と海のことを、不定期に書いていこうと思います。いつまで続くかわかりませんが。よろしくお願いいたします。

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