kitayama

北山あさひです。ここには海と短歌について書いていきます。

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マガジン

  • 海のうた

    海のうたを鑑賞します

最近の記事

雷が海に落ちたね

この夏に左右社が刊行したアンソロジー『海のうた』を読んでいて気になった歌。 「雷が海に落ちたね」って変なセリフだ。 大気の不安定な海を眺めているときに雷がゴロゴロ、ピカッ!となったとしたら「雷が海に落ちたね」なんて言わないと思う。「うわっ雷!」とか「やばっ」って言うんじゃないかな。 この人たち(「わたしたち」と言っているので。)はどうしてこんなセリフを言うんだろう。 そんな荒々しい気象条件でなんで髪の毛が丁寧に「巻き上がる」のだろう。 「上」を三回も使ってなんだかアゲ↑↑↑

    • 骨組みだけの海の家

      5月の「さまよえる歌人の会」に参加したときに好きな歌として挙げた一首。 晩夏光……夏が振り絞るさいごの光の中に取り残されている、骨組みだけになってしまった海の家。営業を終えてからどれくらいの歳月が流れているのだろう。かつてそこに、どれだけの明るさと声が響いていたのだろう。 弱々しい光の中、そんな海の家を「最期に見たい」という「きみ」。 その「きみ」もまたもうじき終わる夏のように儚い存在に見える。 「きみ」の「最期」はそんなに遠くないのかもしれない。 歌集に繰り返し暗示され

      • アンソロジー『海のうた』(左右社)

        告知です。 左右社さんが海にまつわる短歌を集めたアンソロジーを出版されます。 拙歌集『ヒューマン・ライツ』からも一首掲載していただいています。 6月下旬から順次発売とのこと。 装幀も素敵です。ぜひお手に取ってみてください。 札幌も少しずつ暑くなってきて、海が恋しいです。 そろそろ「海活」開始ですね。

        • とんぼになっても

          「とんぼになつて」ではなく「とんぼになつても」であることが大事だ。 今、人間の生を生きているわたしは海からの風に吹かれている。 これまでも折にふれて海へやって来たわたし。 浜辺では野球部の少年たちがトレーニングしていたり、棒きれが一本突っ立っていたりする。 わたしはここで悩んだり、すっきりしたり、海から何か大事なものを学んだりしてきた。 秋の少し涼しい風が吹いてくる。 生まれ変わったらとんぼって、どうだろう。 けっこう苦労して生きているんだから、来世ではもう少しいい思いを

        雷が海に落ちたね

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        • 海のうた
          4本

        記事

          オットセイでも飼はむ

          この青竹踏みをしている父は病んでいる。 「肺胞の線維化」がすすむ難病にかかっていることがわかり、通院している。治療の見通しは、良くない。 青竹踏みは病気になる前からの習慣なのだろう。いつものようにせっせと踏む、いつもの風景。隣で主体は洗濯物でも畳んでいるのかもしれない。心が疲れてぼーっとテレビを見ているのかもしれない。 ふと顔をこちらに向けて父が言う。 「オットセイでも飼おうか」 なんでやねん、と主体はつっこんだだろうか。それとも「いいね」なんて応えただろうか。 オットセイ

          オットセイでも飼はむ

          朝日新聞「うたをよむ」

          夢の中で、夜の小樽運河を歩いていた。 実際の運河よりも広々としていて、誰もいない。 月灯りがとても明るい。 遠くのほうから一艘の船がするすると近づいてくる。 巡視艇のような、シャープなかたちの船。黒と白のコントラストが美しい。船はすーっと滑るように着岸した。 デッキに黒いコートを着た男が何人かいて、わたしのほうを見ている。 表情は見えないけれど、わたしを迎えに来たのだとわかる。 船から石畳の地面へ、わたしの足元へ、 月灯りが液体のように広がってくる。 わたしは右手に空のどんぶ

          朝日新聞「うたをよむ」

          冬の皺よせゐる海が電車を止める

          冬になってから寒すぎて小樽に近づくことさえできず、夏が恋しい今日この頃。早く船に乗りたい。 ニュース映像で見た人もいるかもしれないけれど、小樽と札幌をむすぶJR函館線が高波の影響で運転見合わせになっていた(現在は復旧)。 JR北海道の↓のツイート(あくまでもツイートと言い続ける)を見たときはちょっとウケてしまった。夏はさわやかでいい景色だけど、冬は本当に荒々しくて「日本海全開」って感じ。それはそれで別の美しさがあるけれど……。 冬の海といえば思い浮かぶのは中城ふみ子。

          冬の皺よせゐる海が電車を止める

          小樽はなぜ「かなしき」なのか

          二か月に一度、札幌の短歌仲間と歌集勉強会をひらいている。 今回は石川啄木の『一握の砂』。レポーターはわたし。なぜかいつまでも忙しく時間がまったくないので、近代短歌史をざっと復習して啄木の歌の何が新しかったのかを確認するに留まったのだけど、参考にした中村稔さんの『石川啄木論』(青土社)が勉強になったし、参加したみんなの意見もすごく面白くて、これまで啄木ってぜんぜん好きになれなくて、今も特に大好きというわけではないけれど、面白さというのはよくわかったな。 わたしは夏頃から小樽に

          小樽はなぜ「かなしき」なのか

          現代短歌パスポート2

          秋頃からまったく時間に余裕がなく、海にも行けず、こちらも放置になってしまいました。 書肆侃侃房さんから間もなく発売の「現代短歌パスポート2 恐竜の不在号」に「板子一枚下は地獄、今度会えたら笑ってよ」という作品を寄稿しています。北洋漁業を題材に書いてみました。よろしければお読みください。

          現代短歌パスポート2

          「北洋」という職場

          【前回までのあらすじ】 自分の創作活動に何かが足りないと感じていた北山。たまたま読んだスルメイカ加工を題材にした明美智子さんの歌に、「海」になにか運命的なものがあると閃いて函館の旅に出るのであった。 * 「函館市北洋資料館」は五稜郭タワーのすぐ横、函館美術館の隣にある。函館には7、8回来ているけれど、こんな施設があるとは。北洋漁業についても、今回ひょんなことから興味を持つまで、わたしはほとんど知らなかった。知ってますか?北洋漁業。 日本は江戸時代あたりから樺太沿岸で漁を

          「北洋」という職場

          【短歌5首】出港

          出港   北山あさひ 水平線を見ているうちに水平線の寝起きのような目のなかにいる 五百トンくらいの白い船がいる体毛を剃りたくないと思う アカシアの花がさーっと吹いている祭りと祭りの間の土曜日 底曳き網、まき網、刺網、定置網 その苦しさに憧れている 耳つきのサンドイッチの気分なり出て行けるんだ心はいつも (フリーペーパー「変幻自在宝島」掲載)

          【短歌5首】出港

          イカから始まる旅

          「もっと北へ行かなくては」「冒険の旅に出なくては」という漠然とした思いが、歌集を出して以来、ずっとある。 「北」っていうのはわかりやすくて、東京とか中央とかそういうものから離れようということ。わたしの居場所はそこじゃないってこと。「冒険」は、たぶん北海道の大自然を前にしたときに感じる畏れや魂がざわざわする感じを辿って、自分にとって「北」というものが何なのかをわかりたい、というようなことなのだと思う。その「冒険」にどう出たらいいのかがずっとわからなかったのだけど、最近になってよ

          イカから始まる旅